志和池昭一郎は、永倉が一時籍を置いていた「ハウス・オブ・ハウス・ジャパン」の社長である。二人はオマーンへ石油利権の交渉に行ったり、砂漠で蝶の採集をしたりしている。
社長と社員という通常の関係を超えた、というか逸脱した不思議な間柄である。(詳しくは第228号参照)
1981年8月22日、志和池昭一郎と向田邦子を乗せた台湾の遠東航空機が墜落した。
13年目の94(H6)年8月28日に、「志和池昭一郎をしのぶ会」が東京の代官山で行なわれた。
場所は志和池夫人の晴子さんの店 ”DOBIN(どびん)亭”である。
このときにFAXされた招待状のなかに永倉万治の呼びかけの文がある。
志和池への永倉の想い入れが素直につづられている文である。
全文を紹介をする。
情報を提供してくれたのは、永倉と共に志和池のもとで過ごした同級生のS.I.である。感謝。
志和池昭一郎氏をしのぶ≪早いもので、あの飛行機事故から十数年たちました。アッという間の幾星霜。日々は矢のように過ぎてまいります。
友人、元社員、その他の中には、あの事故があってから、密に、誰もいないところで、胸をホッと撫で下ろしている人もいるかもしれない。その気持ちはわかります。
彼と一緒にいる事は、激動につぐ激動の日々を送ることだった。平凡でもいいから、普通に生きたいと思う人もいただろう。だから、疲れることもありますよ。
でも、しばらくすると、志和池昭一郎のパワーの魅力に引き寄せられるように、つい、あの激動のど真ん中に飛び込んでいってしまうのです。
それほど志和池昭一郎の魅力とパワーは凄かったと思います。
いい仕事もやった。もっと、やれそうだった。それでいて愛嬌もあった。
私達は、どんなに逃れようとも、隠れようとも、彼からは、決して、逃れられない運命にあるのです。
忘れたころに、時々、大いなる供養をしなくてはいけません。そうしないとおちおち、眠れなくなる人もいないとも限らない。
そういうわけで、ここに、故・志和池昭一郎をしのび、静かながらも、パッと盛り上げるパーティーを行いたいと思うのであります。 (永倉万治)≫
私の手元にある資料はここまでである。この日の会のようすをご存知の方がいらしゃれば、ぜひお教え願いたいものである。
明々後日は、志和池昭一郎と向田邦子の23回忌である。合掌。
代官山にある”DOBIN(どびん)亭”をネットで調べてみたら、該当するものがない。残念ながら、現在は営業されていないようである。
挿図は DOBIN亭の”オープニング イブ パーティーの御招待状”の表紙。(提供I.S.)
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