万治くらぶ/第243号
万治くらぶ

第243号

2007/08/26

▲作品の周辺散歩(20) 中二階のある山小屋(4)

 永倉有子さんから万治クンと奥山泰堂さんにまつわる思い出話の原稿をいただいた。感激。

 第241号で彫刻家・奥山泰堂に触れるについて、略歴をお聞きしたところ、思いもかけずふたりの山小屋での思い出を書いてくださった。望外の喜びである。

 そのうえ、「奥山泰堂 略歴」と写真も送っていただいた。感謝。

 ご好意にあまえて、そのまま全文を掲載する。


  永倉万治とわたしの父     永倉有子

 北軽井沢にある山小屋の壁に、一枚のレリーフが架かっています。

 40センチ×90センチほどの木板に、帽子を被った男と髪に花をつけた女、少年と幼児、犬と猫、さらに「永倉万治」と太い文字が浮き彫りになっています。

 20数年前、山小屋の完成祝いに私の父が彫ってくれたもので、永倉は「家宝にしよう!」と少し大袈裟じゃないの?と思うくらいの喜びようでした。

   当時彼は、本格的に小説を書き始めたものの、本当にこれ一本でいけるかわからない不安な時でしたから、「永倉万治」の看板みたいなレリーフを見て、勇気がわいたのかもしれません。

 父と永倉はとても気が合っていました。

 安定した生活よりも創作する喜びを選んでしまった二人の人間という感じで、義理の父子というより友達同士のようにお互いを理解しあっていたようです。

 いつだったか、両親を山小屋に招待した時のことです。

 ある晩、永倉が「今夜はお義父さんの話をじっくりきかせてもらいますよ」と言い出しました。

 父は明治生まれで禅寺育ち、自分語りなどする男ではありません。

 「勘弁してよ。僕の話なんか面白くないよ」

 「面白いか面白くないか、それはこっちで決めます。それに、これは取材です。お義父さん、仕事には協力してもらいますよ、ね?」

 永倉はニヤリと笑いました。こういう間合いが彼は実に上手かった。

 「困ったなあ・・」と渋っていた父ですが、聞き手は失語症とはいえかつてはインタビューの名手といわれた永倉万治、いつの間にやら3時間も語っていたのでした。

 「残念ながら、僕は何一つ子供たちに遺せなかった。それが申し訳なくてなあ・・」

 父の言葉に永倉は笑い出しました。

 「お義父さん、そんなこと言ってはダメ!自分のいちばん好きなことをやり続けるってスゴイことなんですよ。立派な人生じゃないですか。俺は尊敬しますよ」

 「ホントにそう思ってくれるの?」

 「もちろん。お義父さんはエライ!」

 「ハハハ、永倉万治さんに褒められちゃったよ」

 本当にうれしそうに笑っていた父の声がいまも耳に甦ってきます。

 山小屋に行ってレリーフを見上げるたびに、そんなことを思い出すのです。



 聞き上手と話をすることは愉しく、気持ちがいい。

 自分の話したことが、砂に水がしみ込むように相手に伝わり、当を得た反応と的確な質問が返ってくる。

 自分でも忘れていたようなことでも思い出させてくれて、話が盛り上がる。

 話をしていることがたまらなくうれしくなる。

 気の合ったふたりの会話はきっとそんな愉快な時間だったのであろう。

 羨ましい限りである。

 夜の更けるのも忘れ、話題が次から次へと広がっていく。

 ふたりの話はいつはてるともわからない。

 遠くのカラマツ林からふくろうの鳴く声がきこえる。 (続く)


 写真上は奥山泰堂 作「寒い朝」 たいどう彫刻村内に屋外展示(ネット「gallery 」より)

 写真中は談笑する奥山泰堂と永倉万治  1996年撮影(有子夫人より提供)

 写真下は奥山泰堂のスケッチ「長倉山荘の木立」(1989.8.14)(有子夫人より提供)



   奥山泰堂 略歴

   1907(明治40)  愛知県に生まれる
   1929(昭和 4)  帝展初入選
   1931(昭和 6)  東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科卒業
   1933(昭和 8)  在学中の木彫作品がシカゴ万博に出品される
   1938(昭和13)  文展特選
   1943(昭和18)  日本航空美術展にて朝日新聞社賞
   1947(昭和22)  日展委員
   1951(昭和26)  「創型会」を創立、以後、2000年の49回展まで毎年出品
   1961(昭和36)  三重県立博物館所蔵「旧象パラステゴドン」の復元制作
   1971(昭和46)  広島に「たいどう彫刻村」を開園
   1972(昭和47)  国営武蔵丘陵森林公園のモニュメント「道標」制作(第241号に掲載)
   1984(昭和59)  個展
   2000(平成12)  没(享年94歳)

   2002(平成14)  「彫刻家 奥山泰堂 遺作展」 広島・サンクスギャラリー森にて

 挿図は奥山泰堂のサインと落款(有子夫人より提供)

  創型会

   「一流一派に偏せず、作家の自由な精神を重んじ、現代社会での在るべき人間性を探求し、常に時代に先行する制作活動を遂行することで新しい価値の創造を目指す」という志のもと、四人の同志(森大造、村井辰夫、中野四郎、奥山泰堂)が昭和26年に創立した彫刻だけの独立集団。当時唯一の在野的公募団体であり、昭和28年より東京都美術館(東京上野)にて毎年創型展を開催中。


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