万治くらぶ/第367号
万治くらぶ

第367号

2013/02/28

▲万治なんでも雑記帖(157) 永倉万治と井上マス

 2月23日の産経新聞に浜木綿子のインタビュー記事が掲載されている。

 彼女が芸能生活60周年の記念公演に井上マスの「人生は、ガタゴト列車に乗って…」を演じるという。

 井上マスさんは作家・井上ひさしの母である。

 原作の「人生は、ガタゴト列車に乗って…」はもちろんマスさんの著作であるが、彼女の原稿を編集加筆構成して作品にしたのが永倉万治である。

 このことは、第330号で触れた。永倉の「人生はつまずくたびに肥えてゆく」(『晴れた空、そよぐ風』に収録)に詳しい。

 今回、また舞台で演じられることになったので、原作本が生れる経過を、永倉作品から再度、書いてみる。

 はじまりは突然におとずれる。

 ≪十年ほど前のこと。
  知り合いの編集者Tクンから、二百枚以上もある生原稿の束を見せられた。
  その一枚目を見ると、「井上マス」という署名があった。
  つまり、作家井上ひさし氏の御母堂であるマスさんが書いた原稿だったのである。≫

 永倉は、Tクンの依頼を受け、原稿を読み、内容に感動し、編集をすることにした。

 永倉のこのエッセイが1986年7月に書かれていて、原作本の出版が83年3月であることから、編集を引き受けたのは70年代後半かと思われる。

 永倉はまず原作者の彼女のことを知るために、釜石の彼女の家をたずねる。

 ≪僕は、すっかり彼女の話に魅了された。
  体を揺すると、面白い話がバラバラこぼれてくる感じで、早速その場で、彼女と一緒に、いくつかのエピソードをまとめて原稿に加えた。≫

 ここから、永倉と井上マスとの親交がはじまる。

 永倉は編集に没頭する。

 ≪ともかく、それから一カ月程して、彼女の初めての単行本のゲラ刷りがあがってきた。≫

 これにて一件落着と思われたがそう簡単にはいかなかった。

 ≪出版直前になって、Tクンが泣きそうな声で突然「あれ、中止です」といってきた。
  内容に問題があるとは思えない。
  その時、Tクンは、始めて井上好子女子の名前を口にした。
  彼女からクレームがついたという話だった。≫

 井上好子は井上ひさし夫人である。嫁と姑の確執が出版を邪魔したのである。

 ≪好子氏からのクレームがついた以上、他の出版社に持ち込んでも「ひさし氏をとるか、マスさんをとるか」という皮肉なテーマをつきつけることになってしまう。≫

 Tクンはゲラ刷りを持って、あちこちに駆け回る。

 ≪結局、彼女に一番最初に電話をしてきた小さな出版社から、難産の末、マスさんの『人生は、ガタゴト列車に乗って』は出版されることになった。≫

 作品の書評が新聞に載っている。

 1983.4.18 毎日新聞
 ≪女のふんばりはすごい。若くして夫に先立たれ、子供三人をかかえて東北各地を転々、苦闘。(中略)
  いまどきのママが束になってもかなわぬ、こんなおっ母さんが以前はたくさんいた。≫

 1983.4.25 朝日新聞
 ≪「息子井上ひさしには、この原稿を見せませんでした。何かいわれると腹立たしいこともありますし……」。
  著者は七十六歳。(中略)
  なみの女など及びもつかぬ”肝っ玉おっかあ”の足跡が、亡夫への手紙の形で書き進められる。(以下略)≫

 名も知らぬ小さな出版社の作品を大新聞が取り上げている。どんな手を使ったのか……。

 ≪やがて、それは話題性もてつだって、売れた。
  テレビドラマにまでなって、順調に版を重ねた。
  その余勢をかって、彼女の”忘れえぬ人々”をテーマにした二作目『花はなに色ガタゴト列車』も同じ出版社から出版された。≫

 のちに、『人生は、ガタゴト列車に乗って』は文庫でも出版された。(1986・ちくま文庫)

 二冊目が出版になって好子女子から励ましの電話があり、二人の確執も一件落着で、これですべて万々歳。

 というはずだったが、これがまだ終わっていなかった。あとでわかる。

 ≪ところが、しばらく彼女と疎遠になりかけた頃になって、その出版社から印税が支払われていないことを知った。≫

 そんなひどい話はない。永倉は義憤にかられる。

 出版社は東京にあり、マスさんは釜石に住んでいる。

 そこで、東京にいる永倉は一役かうことになる。

 ≪国元と密かに連絡をとる江戸づめの赤穂浪士のような気分で、僕は、東京での折衝役を引き受ける。≫

 この折衝の様子は、はっきりとは書かれていないが、結果は不首尾に終わったようである。

 それからしばらくして、マスさんが三作目を書くことになる。

 ≪今度こそ宣伝力のある、印税をキチンと払える、大手の出版社から出そう(と誓った。)(中略)
  そして彼女は書き始めた。
  三分の一程書き進んだところで「あれは、中止」という電話が僕のところに入った。≫

 理由は出版社が、好子女子からのクレームはないにもかかわらず、配慮のしすぎで中止になったらしい。

 ≪さすがに強気のおっ母さんも肩を落として「その内に、直木賞でもとるように、ガンバルベし」といった。
  それから半年後に、その三作目は『ちょっと一服ガタゴト列車』というタイトルで、文芸編集部のないある出版社から出版された。≫


 浜木綿子の「人生は、ガタゴト列車に乗って…」の舞台は、1989年11月の東京・日比谷の芸術座が初演である。

 永倉はこの公演を観に行っている。

 ≪井上マスさんの自叙伝『人生は、ガタゴト列車に乗って……』が舞台化されたという知らせをもらった。(略)
  僕も、井上マスさんとは『人生はガタゴト……』の編集を通して親しくしていただいた仲だ。(略)
  これは是非とも観たいと思った。浜木綿子さんがマスさんの役を演じるのも興味があった。
  僕はまだ頭がぼーっとしている状態だったが、なんとか頑張って観続けた。(略)
  浜木綿子が井上マスさんとダブッて見えてきて、僕は思わず、何度も泣いた≫

 浜木綿子はマスさん役を200回以上も演じ、この役で菊田一夫演劇大賞を受賞している。

 ≪観終わってから家に帰り、僕はマスさんに手紙を書いた。
  「良かった!何度も泣いた!マスさん、良かったね。(略)」
  (病気の)マスさんからの返事はなかったが、僕の手紙を読んで喜んでいたよと、釜石の新聞記者、岩館さんが知らせてくれた。
  それからしばらくして、井上マスさんは亡くなった。≫

 井上マスさんは1991年5月30日に亡くなっている。

 このとき、永倉は脳溢血からの奇跡の復活を果たし、リハビリを続けながら、やっとその時の体験「平成元年闘病記」の連載を書いている。

 1998年10月に、永倉は岩手東海新聞社の岩館記者との旧交を温めるため、釜石を訪ね、積年の願いである墓参を果たしている。

 ≪私たちは井上マスさんの墓参りにいった。
  小高い丘の上にある井上マスさんの墓に花を供え、合掌した。
  マスさん、やっと来れました。
  いい気分だった。
  台風の後の爽やかな風が吹いていた。≫


  写真上は 浜木綿子主演公演のポスター(ネット「Yahoo!ロコ 人生は、ガタゴト列車に乗って・・・・・」より)

  写真中は 井上マス(『人生は、ガタゴト列車に乗って……』のカバー内側より)

  写真下は 井上マス『人生は、ガタゴト列車に乗って……』(1983・書苑)の表紙


 (付 記 1)

  井上マス 略歴(ウィキペディアより)([ ]内は井上マス著作本より)

    1907年2月15日、広沢マスとして神奈川県小田原に生まれ、鈴木家の養女となる。戸籍名は鈴木マス。
    14歳の時(1921年)東京新宿にある病院に勤める。[看護婦見習い]ここで薬剤師の井上修吉と知り合い、
    20歳の時(1927年)修吉の郷里の山形県東置賜郡小松町(現:川西町)へ駆落ちし、事実婚関係となり、
    滋、廈、修祐の三人の息子を儲ける。
    修吉と駆け落ちした経緯から、養家の鈴木家に修吉との入籍を許されず、井上の籍に入れず、
    戸籍名の「鈴木マス」も使用せず、日常生活では「広沢ます」「井上マス」を使い分けていた。
    32歳の時(1939年)夫と死別。[結核性カリエス][夫の家業の薬局を続ける]
    1948年には家土地を抵当に入れ、近所の友人から借金して恋人と逐電。
    次男と三男を孤児院に預けたこともあり、一関で土建業「井上組」を開業するなどさまざまな仕事をして子供を育て、
    [生理帯の製造販売、闇米の仲買い、美容院、居酒屋、ソバ屋、すし屋]
    釜石で焼き鳥の屋台を15年、バー[バー・エトワール]を15年経営する。
    熱心な日本共産党員でもあり、日本共産党の支部長を務めた。
    次男ひさしが有名作家になると、「井上ひさしの内弟子」を名乗って作家修業を始め、
    永倉万治がゴーストライターを務めた自伝『人生は、ガタゴト列車に乗って』が話題となり、
    1984年「人生はガタゴト列車」の題で連続テレビドラマ化された。
    1986年、ひさしの妻西舘好子が不倫の末離婚すると上京し、千葉県市川市でひさし一家と同居、
    好子に向けて『好子さん!』を刊行した(国会図書館に所蔵なし)。
    1991年5月30日、マス死去。
    マス没後の1998年、好子は『修羅の棲む家』を刊行してひさしの暴力を受け続けていたことを明らかにした。


 (付 記 2)

  浜木綿子主演 「人生は、ガタゴト列車に乗って…」 全国公演スケジュール

     2013/3/28(木)〜2013/4/7(日) THEATRE1010(東京都)
     2013/4/10(水)・2013/4/11(木) 北國新聞赤羽ホール(石川県)
     2013/4/13(土)           関内ホール 大ホール(神奈川県)
     2013/4/28(日)〜2013/4/30(火) 新歌舞伎座(大阪府)
     2013/4/16(火)           電力ホール(宮城県)
     2013/4/20(土)・2013/4/21(日) 中日劇場(愛知県)
     2013/4/26(金)           越前市文化センター(福井県)
     2013/5/ 5(祝)           富山県民会館(富山県)
     2013/5/12(日)           呉市文化ホール(広島県)


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