万治くらぶ/第371号
万治くらぶ

第371号

2014/09/14

▲万治なんでも雑記帖(161)田村情報(3) 待てば、万治の たより あり

 田村さんから”とっておきの話”が届いた。

 待てば海路の日和、ならぬ万治情報のたよりがきた。うれしいかぎりである。

 『wind』の企画のなかで、田村さんが永倉と担当した仕事の話である。

 ≪『wind』には対談ページがあり、名だたる作家や音楽家などに登場していただきました。
  開高健、団伊玖磨、田村隆一、篠田正浩、東由多加さんもいらっしゃいました…、
  そういう方々にお目にかかって、私は初めてオーラというものを実感しました。≫

 各界の名士、そうそうたる名前が並んでいる。

 これらの著名人が、あるテーマをもとに対談を繰り広げるという。

 なんとも、贅沢なすばらしい企画である。

 できたばかりの会員向けの雑誌ができることではなさそうなはなしである。

 JALの看板か、スタッフの熱意の賜物か、実にうらやましいかぎりである。

 そのなかに、寺山修司と勅使河原宏の対談がある。

 テーマは、「道とドラマ」である。

 寺山修司は、劇団「天井桟敷」を主宰。詩人、演出家、映画監督、小説家、俳優などとしても活動する。

 『書を捨てよ、町へ出よう』で、サンレモ映画祭でグランプリを獲得している。

 新聞や雑誌などの紙面を賑わすメディアの寵児といわれた存在である。

 勅使河原宏は、映画「砂の女」の監督として国際的に高く評価されている。

 その後、草月陶房で越前焼の作陶に打ち込み、次いで、いけばな草月流を継ぐ。

 多彩な芸術活動を体験に根ざした新しい華道家として注目を集めた人物である。

 この二人がどんな対談を聞かせてくれるか愉しみである。


 ≪私がもっともオーラを感じたのは寺山修司さんでした。
  そのときの対談テーマは「道とドラマ」、対談相手は勅使河原宏さんでした。
  寺山さんのフィクションを交えた絶妙なリードで、内容の濃いものとなり、
  笑顔でお2人をお見送りし、私は録音を確認すべく、テープを再生しました。≫

 このとき、田村さんを驚愕させる事件が起こった。

 ≪ところが、聞こえるのは無音。
  もういちど、いや何度再生しても無音。
  まったく録音されていませんでした。
  目の前が真っ白というか、真っ暗というか。
  茫然自失とはこのことです。≫

 録音したはずの対談がない。

 なぜなの。どうしてなの。

 録音を担当していた田村さんは、顔面蒼白(たぶん)。

 ≪なぜこのようなことが起きたのか?
  当時、新書サイズのテープレコーダーが売り出されたので、
  それを購入し、その日初めて使ったのです。
  もちろんニューテープ。それも仇に成ったというか…。
  多分、PLAYとRECORDの2つのキーを押して録音するところを、操作ミスでPLAYのみを押していた。
  もしそのテープが使用され、その録音が削除されていなければ音が出て、間違いに気づいたのでしょうが、
  途中で確認すると、テープが回っていたので録音されていると思ってしまった、ということだったと思います。≫

 録音されなかった理由がわかっても、なんの解決にもならない。

 やり直しはきかない。もう一度など頼めない。どうしよう。

 ≪途方に暮れていたとき、長倉さんがこう言ったのです。
  「オレさ、寺山さんの言うことはだいたいわかるんだ。
  それに今終わったばかりだからみんなも内容はだいたい憶えているし、メモを取ってるだろ。
  それをオレに言ってくれれば、なんとかできるよ。ただし、青森弁でしゃべれば」
  幸いなことに、勅使河原さんは映像の世界から離れ、この対談のあとに草月流を継がれたのですが、
  当時は陶芸をなさっており、そういう状況からか、口数が少なかったのです。

  そこからスタッフと共同の長倉劇場がはじまりました!
  メモを取っていたA君が「パリの道」というと、イタコ長倉の口から
  「パリの土曜日の夜なんていうとね」と寺山修司さんの青森弁が流れます。
  記憶をたどってBさんが「中山競馬場」と投げると、
  「中山競馬場にはおけら街道と呼ばれている道があって」とイタコ長倉。
  ……こうして、1時間半ほどの対談が見事に復元されたのです。
  もちろん今度はしっかり録音して。

  もう30年以上前のことですので、すべて無録音だったのか、
  対談中のトイレ休憩でテープを止め、改めて動かして後半は録音されていたのか、記憶があいまいですが、
  このときのドラマのような出来事は今でも鮮明に憶えていますし、
  長倉さんの非凡さに感じ入った出来事でした。≫

 こんな出来事があったとは、びっくりである。

 対談の録音なしで、対談者の口調そのままに復元するとは、並みの頭脳ではできない。

 スタッフの必死さ、努力ももちろんであるが、永倉万治の頭のなかはどうなっているのだろう。

 覚えるというよりも、彼の頭の中にそのままの状態で録音・録画されているのかもしれない。

 なんとしても、この長倉劇場による対談を読んでみたい。

 ひとの迷惑もかえりみず、私は再々度、田村さんにメールを送った。

                   (つづく)


  写真右は 寺山修司(ブログ「林浩平の《饒舌三昧》・寺山修司展」より)。

  写真左は 勅使河原宏(ネット「草月流いけばな 草月会埼玉県支部 勅使河原宏特集」より)

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