万治くらぶ/第372号
万治くらぶ

第372号

2014/09/28

▲万治なんでも雑記帖(162)田村情報(4) 求めよ、さらば与えられん!

 田村さんが寺山修司と勅使河原宏の対談をコピーして送ってくれた。感謝、感激である。

 田村さんは、一面識もない私のために時間を割いて、どこかに仕舞ってあっただろう『ウインド』を探し出してくれたのである。

 なんとも、申し訳なく、そして、とてもうれしい。

 寺山修司と勅使河原宏の対談は、『ウインド』VOL.2−2(1977.7)に載っている。

 「道のドラマ 東と西」 対談 勅使河原宏(映像作家)×寺山修司(詩人)

 なお、これから紹介する対談は、私が勝手に、適宜、省略、要約をおこなっている。

 元の対談の内容や雰囲気を損なわないようにつとめるので、ご容赦、ご寛容をお願いしたい。


 対談は寺山修司が勅使河原の近況をたずねることからはじまる。

  寺  山 :陶芸をはじめられたそうですね。
  勅使河原:ええ、ちょっとまとまった個展をやりました。

 挨拶代わりの話が済むと、勅使河原が映画製作の状況が、いまはむずかしいという。

 その言葉を受けて、寺山が話題をテーマにむける。

  寺  山 :むずかしいといえば、この”道”というテーマはむずかしいな(笑)
  勅使河原:道といえば、陶芸の方でいうと、陶工の道というのがあるんです。
         陶工が腕をみがいていく過程で、窯場を点々としていくんですね。
         その道にひとりの陶工の作品が残されていくわけです。
         これが陶工の道ですね。
  寺  山 :演劇なんかもそうですが、道型と広場型っていうのがあると思うんです。
         門付けなんかは道型の演劇ということになりますが。
         道っていうには、どこからが入口で、どこからが出口ということがない。
         そういう意味では開かれた空間であって、逆に広場というのは、
         そこに人が集まってきたり、別れていったり、
         まあ、一種の閉ざされた空間だと思うわけです。

 陶芸にしても、演劇にしても、その創作に携わる人は、ただ作っているだけでないらしい。

 その背景というか、自分の立ち位置というか、いろいろなことを考えながら創作に取り組んでいるようである。

 先人の足跡をふまえ、試行錯誤を繰り返しながら自身の個性を主張していく。奥が深い話である。

  寺  山 :去年「ノック」という、知らない家のドアを次々にノックしていく
         芝居をやりましたが、これは反応がおもしろかった。
         つまり、国勢調査の人ならみんなドアを開けるわけで、
         ところが、オセロがノックすると絶対に、ドアを開けない。(笑)
  勅使河原:突然、オセロがドアをノックしてきたら、それは驚くだろうな。

 これも、道を意識した演劇なのだろうか。

 住人という観客を巻き込んで、自分たちが愉しんで、次から次へと展開して行くところが愉快である。


  勅使河原:ヨーロッパなんかでは、道というのは家の延長だという考えが
         あるんでしょうね。
         だから、道も大事にするし、そこで楽しむという発想もある。
  寺  山 :パリの土曜日の夜なんていうと、サンジェルマンのあたりに、
         人がパーッと集まってて、そこに口から火を吹く男が来る。
         カミソリを飲みこむ奴が来る。盲目のバイオリン弾きが来る。
         もうそれは楽しいですよ。実にいいですよ。
  勅使河原:日本も昔は、いろんな芸人が来ましたけどね。
         ぼくは子どもの頃、虚無僧が歩いてくるのがこわくてね。
         カルメ焼きなんかも来たね。
  寺  山 :たとえば、アムステルダムなんかの運河沿いの道なんかに、
         酢漬けニシンに玉ネギをかけて食べさせる屋台がありますけど、
         ああいう縁日の世界が、日常的な街にあるというのは、
         ボクは好きなんですけど。
  勅使河原:パリだったら、焼き栗屋がありますね。

 二人の道の想い出は、もう停まらない。

 それに食べ物が加われば、鬼に金棒、最強タッグである。

  寺  山 :道のはなしでいうと、ぼくはロンドンに行くと、いつも、
         ピカデリー・サーカスの近くのエロス・ストリートにある
         エロス・ホテルに泊まるんですよ。名前がいいでしょう。
  勅使河原:それは楽しいな。ピカデリーサーカスの近く?

 海外の道の名前や町の名前でひとしきり話がはずみ、道とは?と思い入れを語る。

  寺  山 :ぼくは、道っていうと、あの「通り抜けられます」というのが、本当の道
         だっていう気がするんだけど、まあ、滝田ゆうの世界ですけどね、
         それが「通り抜けられません」になるとダメになる。
  勅使河原:外国ではどうなんだろう。
         ああいう”通り抜けられます”みたいな路地っていうのは。
  寺  山 :いや、ありますよ。あのハンブルクの飾り窓で有名な、
         レーパーバーンなんかの裏通りあたりで、
         ”どうぞ通り抜けて下さい”というようなところがありますけど、
         ただ、通り抜けて出てくると、所持品が少し減ったりして。(笑)
  勅使河原:結局、日本で道が残っているというと、京都、奈良、
         そのあたりになってしまうんだな。
         子どもにしても昔のように朝から暗くなるまで路上で遊んだり、
         大人は大人で道端で縁台将棋をしたりというような、
         道路に遊んでもらうということは
         ほとんどなくなってしまうのじゃないかね。
  寺  山 :昔の子どもにとっては、路上というのが一種の人生の学校で
         あったわけだけど、いまでもアフリカなんかだと、夜遅くまで外に出て、
         みんなペチャクチャ話したりしているけれど、昔の隣近所にとっては、
         道路は社交場でもあったわけですよ。

 話題は陸続きの道へと移る。

  勅使河原:ヨーロッパで、車を走らせて気がつくのは、
         国が変わると道路が変わるってことね。
         同じ道路をとばしていって、国境を越えると景色まで変わっちゃう。
         ああいった陸続きの感覚っていうのは、日本ではもてないな。
  寺  山 :スペインの道というのはいいですね。
         あそこでは、まだ人間が本気で怒っているという感じがありますね。
         路上で男が派手にけんかしてたり、女が泣いてたり、
         あそこにはまだ人間のいる道があるという感じがする。
  勅使河原:同じスペインでも、ぼくはバルセロナが好きですね。
         マドリードなんかと全く違うんですね。
         夜、あそこの通りをぶらぶら歩いているだけでいいんですね。
         雰囲気があるんだな。
  寺  山 :イタリアも、夜遅くまで路上に人の声が氾濫している感じがありますね。
         家族全部で道端に出てしゃべってたりね。
         家出をするにも家族全部で出てきちゃったり、
         あそこの家族はちょっとスゴイですよ。
  勅使河原:マフィア・ファミリーの故郷だからね。(笑)

 世界をめぐる二人には外国の話が続くが、やっと日本がでてくる。

  寺  山 :中山競馬場から京成船橋までの間に
         ”オケラ街道”というのがあるんですが、
         誰が名付けたのかわからないけど、ぼくの好きな道のひとつですね。
         オケラ街道というのは、競馬で負けてスッカラカンになった連中が
         歩いて帰る道で、敗者の道ですよ。
         あの道というのは不思議なんだけど、知らない人間同志なんだけど、
         誰ともなく話しかけてくるわけですよ。
         あのオケラ街道というのは、他人同志が仲良く話しながら歩ける、
         日本じゃ数少ない道なんじゃないですかね。
         前、オルグレンが日本に来たとき、二人で行ったんですよ。
         そしたら、歩きながら英語で話しかけてくるんですよ、
         鉄工所のあんちゃんみたいなのが。(笑)
         オルグレンも調子を合わせて、外れ馬券を見せたりしてね。
  勅使河原:いや、それはおもしろいな。でも、それあなたが作った話じゃないの。

 ふたりの道の話は終わることを知らない。

 そこで、進行係が映画で印象に残る道へとつぎの話題へ誘う。

  寺  山 :道というと、フェリーニの「道」に尽きるんだけれど、
         あの「天井桟敷の人々」にでてくる犯罪大通りのシーンなんていうのも、
         印象的だったですね。それから、「第三の男」の墓場の一本道と、
         チャップリンの「モダンタイムス」のラストシーンなんかがあるけれど。
  勅使河原:ぼくは、あのマリリン・モンローの映画で、「バス・ストップ」の中で、
         なんにもない砂漠の一本道にモンローが
         立っていたシーンがとても印象的だったな。
  寺  山 :ジンネマンの「日曜日には鼠を殺せ」という映画の中で、
         これはスペイン市民戦争の話なんだけど、
         主人公の男がまわりから英雄視されていてね、
         家を出て行けば殺されるのはわかっているんだけれど、
         結局、出て行かなければならなくなって、ドアをあける。
         その時に、男の目の前にひろがる道路に、バスケットボールが
         コロン、コロンと転がっていく。
         そこのシーンはとても印象的だったですね。

 汲めど尽きない泉のように映画の道が出てくる。

 最期に、世界の泣かせる散歩道ベストテンを選びはじめる。

  寺  山 :アムステルダムなんかだと、飾り窓のあるレッド・エリアに
         抜ける運河沿いの道っていうのがいいですね。
         パリになると、やっぱりサンミッシェル通りの
         セーヌ寄りあたりがいいですね。
         週末になると、路上にエンターティナーが出るし、ちょっと裏手には、
         支那めし屋とかチュニジアレストランがあって、あの辺は楽しいですね。
  勅使河原:ぼくは、イタリアのトリノの旧市街なんかは好きだな。
         落ちついた街並みで、それに静なのが気にいってる。
  寺  山 :ニューヨークのブルックリンのサニーサイドあたりというのは、
         まだウィリアム・サローヤンの世界が残っている感じがありますね。
         古いアメリカの、ある良質なものが残ってる感じですね。
  勅使河原:ニューヨークのダウンタウンなんかでも、
         家の前の路上でトロンボーン吹いてる黒人がいましたよ。
  寺  山 :シンガポールやバンコクの夜11時の散歩っていうのもいいですよ。
         暑い夜でね、裸電球がポッとついてて、映画館の音が外まで聞こえる。
         イギリスではやっぱりスコットランドのエジンバラがいいですよ。
         いかにもシャーロキアンが住んでそうな建物があったり、
         夕方から吸血鬼研究会の集まりがあったりね。
         それから……、
         まあ、こんなところでしょう、あとは教えられない。(笑)

 これだけの対談を録音テープなしで、復元するとは、奇跡を見るようである。

 スタッフの皆さんの必死の努力はもちろんであるが、永倉万治の頭のなかはどうなっているんだろうと思ってしまう。

 多少のメモはあったにしても、いろいろ出てくる道の名前や人の名前など固有名詞までしっかり出てくるとは驚きである。

 その道にまつわるエピソードまでも、きっちり出てくる。

 この対談を読んだ両先生もうまくまとめてあると思うだけで、舞台裏まできっと気付かないであろう。

 復元された対談には、不自然さが全くなく、両先生が会話を愉しんでいるようすが伝わってくる。

 こんな才能を持った永倉万治には、もっと、もっと、いろいろ活躍して欲しかった。

 この対談を読んで、いまさらながら、彼を失ったことが本当に残念でならない。


  写真上は 『ウインド』VOL.2−2(1977.7)の表紙。

  写真下は 対談 寺山修司×勅使河原宏(『ウインド』VOL.2−2 より)

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