万治くらぶ/第50号
万治くらぶ

第50号

2003/04/27 

▲言語遊戯(2) 仮想インタビュー・武蔵野S町のころ

 

    第50号の記念に永倉万治先生にご登場願って、私がインタビューを試みました。
    第1回目としてS町・小学校のころに話題をかぎって聞いてみました。
    どんな話が聞けることやら、お楽しみください。


 編集士: 永倉先生、どうもお久しぶりです。

 永  倉: 先生はやめようよ。同級生なんだから、永倉でいいよ。

 編: では、同級生のよしみで、ざっくばらんにやらせてもらいます。
    まず、インタビューのお決まりの質問で、誕生日はいつでした?

 永: 昭和23年1月27日のネズミ年生まれ。
    戦後のベビーブームで、団塊の世代という訳。
    モーツァルトと同じ誕生日なんだ。
    そう言えば、この間出版社の若い奴が”私も戦後生まれです”って言うのよ。
    ”えっ!?”って聞いたら、”ベトナム戦争です”だって。驚いたねえ。
    僕のは正真正銘の第2次世界大戦の戦後。

 編: 私も同級生なんだから当然同世代なんだけど、
    当時は娯楽に乏しかったらしく、
    ご同輩がいっぱいご誕生となった次第ですね。


 永: 僕の父親は兵隊帰りで、小学校の教師をしていた母親を見初めて、
    当時としては、めずらしく恋愛をしてゴールイン、と聞いてる。

 編: お父さんが甫政と書いて としまささん、ちょっと読めないですね。
    お母さんが婦知子と書いて ふじこさん、お二人とも珍しいですね。

 永: そのせいか、僕と同じ作家をやってる一番下の妹は、釉木淑乃と書いて
    ゆうきよしの。知らなきゃ、読めないよね。


 編: 「武蔵野S町物語」にある家系というか、家族構成的な説明があるけど、
    実際もこの通り?

 永: そうだね。名前は違うけど、姉、僕に妹4人で6人兄弟。
    でも今は3人。いや2人か。

 編: 次々に亡くなられて、大変だったんですね。

 永: 実は聞いた話では、僕も生まれた時に死にかけたらしいのよ。
    隣が医院で助かったみたい。

 編: 何だか、波乱万丈の人生を暗示させるスタートですね。

 永: そういえば、小学4年の時だったかな、チャンバラごっこをしてて、
    刀にしてた棒が折れて眉間にささったことがあったのよ。
    あの時も大怪我で、当たり所が違ったら大変なことになってたかもしれないね。

 編: おやおや。私も笛吹童子のまねをして、チャンバラごっこはよくやりましたよ。

    当時の町のようすで覚えていることはなにかありますか?

 永: 家の前に、野火止用水が流れていて、水がとてもきれいだったよ。
    所によっては、川幅も広く、深さもけっこうあって、
    子供の僕なんかはとても背が立たなかったみたい。
    駅のそばには水車もあったね。

 編: のどかで、いいですね。

 永: 僕の通っていた志木小学校には、町で一番高い建物があって、
    町のシンボルだったね。


 編: 小学校時代は『武蔵野S町物語』にくわしいけど、一番の思い出は何?

 永: そうだね、また死にかけた話だけど、
    やっぱり、電車に轢かれそうになったことかな。

 編: あぁ、東上線のストの時の話ね。

 永: そうなんだ。東上線がストだったんで、線路を歩いて鉄橋を渡っていたら、
    いつのまにかストが解除されていて、電車がやってきたのよ。
    こっちは鉄橋の上だもん、戻っても間に合わない訳。
    あわてて、枕木の下に組んである鉄骨のあいだに潜り込んだね。
    頭の上を電車が通りすぎた。ゴォ〜〜。いまでも、あの音は忘れないね。

 編: 『路傍の石』の吾一みたいだね。

 永: 君は古いね。『スタンド・バイ・ミー』って言ってほしいね。


 編: 失礼しました。そう言えば、小学生の時に映画に出たんだって。

 永: そうそう。エキストラの出演。
    松島トモ子の『赤いカンナの花咲けば』だったなあ、たしか。

 編: すごいね。

 永: トモ子ちゃんのはるかうしろで、鶴亀で遊んでる子供たちの役で、
    亀を必死にやったのよ。
    でも、あとで映画を観たら、ぼやけていて全然わからなくて、ガッカリしたね。

 編: それは、残念でした。

 永: 撮影の合間に、トモ子ちゃんが休憩で乗っているバスを、
    何人かで力一杯揺さぶったのよ。
    一種の愛情表現かな。バカなことをしたもんだよね。

 編: 子供の時って、だいたいそうだね。

 永: 二十数年後に、トモ子ちゃんに雑誌の取材で会った時に、
    その時のことを聞いたら、何も覚えていなかったのよ。
    またまた、ガッカリしたね。

 編: それはしかたないでしょう。でも、いい思い出だよね。

    子供の時は、どんな子だった。

 永: そうだね、どっちかと言えば、わんぱく坊主かな。
    でも、気の弱いところもあったね。
    遊び仲間と一緒だと虚勢を張って、無茶をやるけど、
    ひとりだと臆病でなんにもできなかったりして。

 編: とくに好きな女の子の前ではなんにも言えない。

 永: そうそう、その子の家のまわりをぐるぐる徘徊するだけで、
    なんにもできないんだから。

 編: 女は小さいとき、成長が早いからマセていて、そんなところを見られたら大変。

 永: ”何してんの!”なんて、女はわかっていてもイジワルなことを言うのよ。
    そういうのにがてなんだよ。”女なんてキライだ!”なんて思ってサ。

 編: ドッジボールなんかじゃ、女の方が強くてかなわない。

 永: 顔面に強烈なのを受けたこともあるよ。

 編: 私もあるなあ。あんまり悔しくて内緒で練習したけど、けっきょく勝てなかった。

 永: 君も結構ガンバルね。


 編: いや、おはずかしい。永倉君は、からだは丈夫な方だった?

 永: それが、すぐ熱を出してたみたいだね。
    それに腸が弱くて祭りの露天で売ってた食べ物は禁止だった。
    でも、親には内緒でみんなといっしょにイカの串刺しなんかよく食べたよ。
    とても、うまかったなあ。


 編: 遊びというと、どんなことをしてた?

 永: 探偵団ごっこ。これが一番だね。

 編: 私もよくやったなあ、怪人二十面相と少年探偵団。とってもなつかしい。

 永: 基地というか、隠れ家というか、くぼ地を板で囲ってもぐりこむのよ。
    そこにみんなで集まるんだ。
    今日は病院の倉庫へ行こう、明日は新河岸川にしよう、
    なんてガキ仲間とよく行ったもんだね。

 編: となり町へ行くとそこはもう外国。探偵団というより探検隊気分だったね。
    大きな犬に吠えられて、われ先に逃げ帰ってきたりした。

 永: 足は速かったから、その点は自慢だったね。


 編: 子供のころはなんでも怖かったけど、
    そう言えば、永倉くんは鳥が大嫌いだったみたいだね。

 永: いまも大嫌い。ヘビやトカゲもダメ。
    映画で白鳥が絞め殺されたのを見て、ダメがはっきりしたね。

 編: でも、みんなでヒバリの巣を探しに行かなかった?

 永: もちろん行ったよ。けど、内心はヤダったね。
    みんなの前ではムリしてたんだよ。

 編: ”おまえ、鳥嫌いなのかよ”なんて言われないように永倉少年は、
    必死だったんだ。かわいそうに。

 永: バレないうちに、”今度はカクレンボをしようよ”なんて
    はなしを変えたりするのは、うまかったよ。


 編: うれしかった思い出はどんなこと?

 永: そうだなあ、池袋の不二家のチョコレートパフェ−かなあ。
    中学受験のため、進学教室に通って、帰りに食べさせてもらった
    チョコレートパフェ−がうれしかったね。
    世の中にこんなにうまいもんがあるなんて、もう狂喜乱舞。
    これがあったから、進学教室にも通ったみたいなもんだね。

 編: それは言えるね。わたしも不二家のストロベリーショートケーキは忘れないね。
    ほかにうれしかったことは何かある?

 永: 毎年夏に湯河原に連れて行ってもらって、泳ぎを覚えたこともうれしかった。
    中学に入って、臨海学校で六キロの遠泳ができたのも、
    その時のおかげだなあ。
    泳ぎきったことで、ヤレバできるって大きな自信にもなったみたい。

 編: そろそろ時間になってきたので、最後にぜひ聞きたいのが
    子供のころから、どんな相手とも仲が良かったみたいだけど、その秘訣は?

 永: 別にないよ。でもいま思えば、クラスの嫌われ者とか
    近所の不良ポイ奴とも仲良くしてたし、おとなしい奴とも一緒に遊んだよ。
    自分でもよくわかんないね。
    けっこう憎まれ口も言うけど、恨まれるようなイジワルはしなかった?かな。
    自分で言うのも変だけど、なんでも楽しんじゃおうっていうのが、いいのかな。
    親にもらった明るい性格と、前向きに考えるプラス思考のせいかもしれないね。


 編: 今日は、長い時間どうもありがとうございました。
    いつまでたっても話がつきないので、この辺で終わらせていただきます。
    また、機会をつくりますので、その節はよろしくおねがいします。

 永: こちらこそ、とても楽しかったよ。
    つぎもぜひよんでください。いつでも来ますから。

 編: どうも、ありがとうございました。



 (一言)

 「万治くらぶ」が、第50号になりました。

 みなさんのご愛読のおかげです。こころよりお礼を申し上げます。

 ありがとうございます。


 第50号の記念にいろいろ考えたのですが永倉万治本人に出てもらうのが一番と思い、仮想インタビューにしました。

 仮想インタビューは、2ヶ月くらいも前に思いついたのですが、これが書き始めると大変でした。

 永倉先生がなかなか話してくれません。いろいろ本をひっくり返して話題を探すのですが、スムーズにいきません。

 そんな時に、彼のご両親から手紙と資料をいただき、非常に助かりました。

 うれしかったし、とても感謝しています。

 証拠を見せられ、彼も観念したのか、それからは、よく話してくれました。

 おかげでやっと第50号に間に合いました。

 しかし、残念なことに私は彼とじっくり話したことがありません。

 彼の話し方、口癖がいまひとつわかりません。

 身近なひとにとってはおかしい所、違和感を感じる個所があるかもしれません。

 その点は、お許しを願いたい。

 私としては、雰囲気だけでも出せたらと頑張りました。

 少しでもこのインタビューを楽しんでもらえたら、うれしいかぎりです。


 いままでは、みなさんのおかげで頑張ってこられましたが、私には少々オーバーペースでした。

 これからは、ペースを落として行こうと思っています。

 でも、手は抜かずにガンバリますので、これからもよろしくご愛顧のほどをお願いします。


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