永倉万治 年譜(46)
永倉万治 年譜(46)

永倉万治 年譜(46)・1992年

2010/04/11

   ☆ 1992年(平成4)・ 44 歳(小説家時代)

 【社会の動き】

 流 行:きんさん・ぎんさん、ほめ殺し、カード破産、もつ鍋、複合不況、冬彦さん、ツインピークス。

 不動産融資総量規制の解除(1月)、東海原発で、作業員2人が被曝(1月)、貴花田が史上最年小で幕内優勝(1月)、東京地検が、佐川急便マネー疑惑で強制捜査(2月)、富士通、スーパーコンピュータLSIを世界初開発(2月)、暴対法の施行(3月)、歌手・尾崎豊、泥酔で保護後、死亡。26歳(4月)、「ミンボーの女」の映画監督伊丹十三が暴漢に顔を切られる(5月)、漫画「サザエさん」長谷川町子が死亡。72歳(5月)、作曲家・中村八大が死亡。61歳(6月)
 山形新幹線開業(7月)、作家・松本清張が死亡。82歳(8月)、学校週5日制開始(9月)、毛利衛、スペースシャトルで宇宙へ(9月)、佐川献金疑惑で金丸信が議員辞職(10月)、貴花田・宮沢りえの婚約(10月)、「プラハの春」の指導者・ドプチェクが死亡。70歳(11月)、地価、全国平均で初下落(11月)、英・チャールズ皇太子夫妻が別居(12月)

 【生活 年譜】

  前年連載をした「平成元年闘病記」が『大熱血闘病記』として単行本化され、注目される。他にも『荒木のおばさん』、文庫本で『屋根にのぼれば、吠えたくなって』、『アニバーサリー・ソング』、『みんなアフリカ』、『恋はあせらず』と出版が続く。小説雑誌への執筆も増え、9月には新連載「武蔵野アマルコルド」が始まる。
  リハビリを続けるが、成果は遅々として現れず、あせりや不安を覚える。そんな時にテレビドラマで小泉信三の「練習とは不可能を可能にする」に出会いを気持ちが晴れ、迷いがなくなる。リハビリに一層励み、大復活を果たすことになる。
  リハビリと同様に健康、特に高血圧にも留意し、病院の薬をはじめ、いいといわれることなら何でも漢方から民間療法まで試す。

  ≪(漢方医の)T先生はじっくり時間をかけて、体の状態を聞き、僕の体に合った漢方薬を調合してくれる。
  勿論、病院からもらっている薬もきちんと考慮に入れたうえだから、安心だ。(略)
  薬だけでは飽き足らず、健康食品といわれるものも随分試した。(略)
  確か、いちばん初めはタマネギの皮だったと思う。酢大豆に走ったこともある。イワシをまるごと食べることや、アシタバがいいと聞けばすぐに食卓に取り入れた。(略)
  (他に、ジャガイモのすりおろしジュース、タマネギの皮、ギャバロン茶、ウコン末、ウコッケイ卵のリンゴ酢漬け、ラッキョウ、ニンニクエキス、朝鮮ニンジンの顆粒等々。)
  ともかく、いまは病院の薬と漢方の煎じ薬、それにクマ笹のエキスとシジミの顆粒。それだけになった≫作34『大復活』p143

  3月 有子夫人、次男と一緒にバンクーバーへ旅行に行く。旅先でイラン人のタクシー運転手に励まされる。

  ≪脳溢血で倒れてから二年半ほどした頃、カナダのバンクーバーに行った。病後、初めての旅行である。
  一応、小説の取材という名目だったが、実をいえばリハビリを兼ねた観光旅行だった。(略)
  (たまたま乗ったタクシーのイラン人運転手に)僕は「私は脳溢血をやった。そして……」と英語でいった。(略)
  (イラン革命を逃れ亡命してきた彼は言った。「いまは運転手をしているが、決して諦めてはいない。セスナの免許を取ってもっと稼ぐ。)
  家族もいる。だから必至なんだよ。あんたも決して諦めてはいけない。ガッツだ。ガッツ」(略)
  思いがけないことだった。(略)どうしてか知らないけれど彼の言葉はわかった。不意に、僕は涙が出そうになった≫作30『食後……』p281

  5月 26日、荒木のおばさんが旅先で亡くなる。葬儀、四十九日法要に行く。

  ≪先生は、糖尿から来た心不全で伊豆の山奥の温泉場で(倒れて)、救急車が遅くて蘇生が間に合わなかったという。(略)
  永倉さんは先生の葬儀に来てくださって(略)先生の四十九日の法要の時にも来てくださって、杖をついて歩いている姿を見せていただいたのだけれど、その永倉万治さんも、その後数年して亡くなってしまった≫荒木のあばさんの知人のサイトより(万治くらぶ第196号)

  7月 病後、初めての取材旅行。宇和島へ行く。魚にさつま汁がうまい。。

  ≪その日は七月の中旬。(略)編集部のF君が、「宇和島、行きませんか?魚、うまいですよ」と突然、電話でいってきた。
  僕は、三年前に脳溢血で倒れ、(略)まだ旅に出るほどの自信はないから、取材旅行に誘われても断ってきた。
  その時は魔がさしたのか、(略)「いいね。宇和島ね」と、反射的にいってしまった。(略)
  (取材旅行は無事終わった。)病気以来、取材旅行に出るのは初めてだ。不安もあった。しかし宇和島に来ることができて、本当に良かったと思った≫作30『食後……』p170

  9月 『エスクァイア』に小学生の頃の自伝「武蔵野アマルコルド」を連載する。

  ≪少年時代は、一番元気のよかった時だった。何かに熱中し、そればかりに一生懸命だった。疲れることがなかった。はしりまわって、なーんも考えていない。疲れることがなかった。そういう少年のイメージが、何度もやっている内にできあがったのかもしれない。
  夕方の窓辺に佇みながら、僕は、あの頃のそんな少年にもう一度かえってみたかったのかもしれなかった≫『本』(1989.11)

 11月 小泉信三の「練習とは不可能を可能にする」に感動する。

  ≪私が脳溢血になって二年ぐらいたった頃のことだ。たまたまテレビドラで小泉信三の家族の物語をやっていた。(略)その中にこの言葉が出てきた。”練習とは不可能を可能にする”。(略)私は思わず”これだ”といっていた。(略)
  その時から私は、練習の人になると自ら決めたのだ≫作28『大青春。』p135

 11月 フランス・イタリアへ観光旅行に行く。

  ≪昨年の十一月の終わり頃、僕はパリからローマへ向う飛行機に乗っていた。別段、急ぐこともない気楽な観光旅行である。(略)(一緒になったイタリア人の団体が、)飲めや歌えの大騒ぎで、皆で座席の上に顔を出して記念写真をとったり、もう大変だった≫作31『二丁……』p134

 【作品 年譜】

  1月10日 クマのプーさん(『別冊 婦人公論』冬号)(→『移動…』)

  1月10日 幸せな女の顔(『クロワッサン』)(→『晴れ…』)

  1月20日 脳溢血で倒れたベッドの上で合気道の教えを思い出した。”気”の力が僕を救ったのだ。(『Number』)(→『晴れ…』)

  1月30日 単行本『大熱血闘病記』(角川書店)

  2月?    テープレコーダー(『婦人公論』)(→『移動…』)(注:単行本巻末に初出記載はあるが該当本には見当たらない)

  3月     真理子の憂鬱(『小説新潮』)(→『結婚…』)

  3月     (思えば私も落ちこぼれだった……。)原点はチリ紙交換(『ミセス』)(→『晴れ…』)

  4月10日 単行本『荒木のおばさん』(講談社)

  4月20日 文庫本『屋根にのぼれば、吠えたくなって』(角川文庫)

  4月20日 移動遊園地(『別冊 婦人公論』春号)(→『移動…』)

  5月     (永倉万治自身による永倉万治スペシャル)本人自身による全作品解説(『月刊カドカワ』)(→未収録)

  5月     (永倉万治自身による永倉万治スペシャル)恋人たちへ(『月刊カドカワ』)(→『晴れ…』)

  5月25日 文庫本『アニバーサリー・ソング』(新潮文庫)

  6月     (おふくろ)うわの空の影響(『文藝春秋』)(→『…隣の…』)(→文庫『オヤジ…』)

  6月     ナオミ(『小説すばる』)(→『移動…』)

  6月25日  匂いの歴史(書き下ろし)(→『誘惑の芳香』)

  7月05日 (いまを見る)深夜1時。胸にしみ入るボロン、ボロン。ウクレレが、静かな静かなブームを呼んでいる。(『クリーク』)(→未収録)

  8月     ガルフ諸島(『小説新潮』)(→『結婚…』)

  8月09日 妄 想(バンブームック『BIG4』)(→未収録)

  8月10日 力石徹の葬式の日(書き下ろし)(→『大アンケートによる少年少女マンガ ベスト100』)

  9月04日 (数の風景'92)いろいろ考えるとめんどくさくなってな(『週刊朝日』)(→『晴れ…』)

  9月15日 文庫本『みんなアフリカ』(講談社文庫)

  9月25日 文庫本『恋はあせらず』(新潮文庫)

 10月     の〜んびり宇和島。万治の旅(『ウインズ』)(→『食後…』)

 11月     (百家争鳴)めぐりあい(『室 内』)(→『晴れ…』)

 11月01日  (?)(『MRハイファッション』)(→『晴れ…』)(未見)

 11月25日  解説(景山民夫『どんな人生にも雨の日はある』新潮文庫)

 12月     (エッセー 私の反省・今年の反省)”がんばろう”なんていけない(『ミセス』)(→未収録)

 12月18日  訳者まえがき ほか(D・P・ジョーンズ『あっ死んじゃった!』)

 【連載 作品】

 「流れの外から」 『小説現代』 (永倉万治 え・百田まどか)

   1月 (連載完結)マルファの光 (→『荒木…』)

 「CUT COLUMNS」 『CUT』 (永倉万治 写真入り)

   1月 一度観たら病みつきになる、グリーナウェイの偉大なる知的お遊び。(→『二丁…』)
   3月 これぞ'70年代的!?ペキンパー流、明るい流れ者人生。(→『二丁…』)
   5月 思春期の歌こそすべてだ。中年の記憶と音楽に関する、ある考察。(→『食後…』)
   7月 運ちゃんと会話できるようになったら一人前。永倉版『ナイト・オン・ザ・プラネット』。(→『晴れ…』)
   9月 年と共に夕暮れの印象も変わっていく永倉版「夕暮れ時は寂しそう」。(→『晴れ…』)
  11月 ジャズに放送劇に北京放送。時間がゆっくり流れた頃の永倉版「トランジスタ・ラジオ」。(→『晴れ…』)

 「アスリート物語」 『銀座3丁目から』 (永倉万治 イラスト=真鍋太郎)

   1月 A (→未収録)
   2月 B (→未収録)
   3月 C (→未収録)
   4月 D (→未収録)
   5月 E (→未収録)
   6月 F (→未収録)
   7月 G (→未収録)
   8月 H (→未収録)
   9月 I (→未収録)
  10月 J (→未収録)
  11月 K (→未収録)
  12月 L (→未収録)

 「武蔵野アマルコルド」 『エスクァイア』 (永倉万治 絵=小島武)

   9月 @ (→『武蔵野…』)
  10月 A (→『武蔵野…』)
  11月 B (→『武蔵野…』)
  12月 C (→『武蔵野…』)

 【参考 作品】

  1月     今月登場(『小説現代』)

  2月20日 (ぴーぷる)大熱血闘病記 永倉万治(『週刊文春』)

  4月     自著を語る―『大熱血闘病記』 永倉万治(作家)(『NEXT』)

  4月     (BOOK PLAZA)永倉万治氏に聞く ウイットに富んだ闘病記 文・吉原敦子(『諸君』)(→『本に逢いたい!』)

  4月10日 (著者インタビュー 最近、面白い本読みましたか)「大熱血闘病記」永倉万治さん(『クロワッサン』)

  5月     (永倉万治自身による永倉万治スペシャル)押切伸一からの52の質問(『月刊カドカワ』)

  5月     (永倉万治自身による永倉万治スペシャル)大熱血半生記[永倉万治物語] ホイチョイ・プロダクションズ(『月刊カドカワ』)

  5月11日 (さいたまと私)「これだけやりなさい」という神様のプレゼントだと思う 永倉万治さん(『朝日新聞』西埼玉版)

  5月25日 (書評)アニバーサリー・ソング 永倉万治著 男性ならではの感性の世界 文・酒井順子(『?新聞』)

  6月     (概観 文学)中間小説'91 清原康正(『文藝年鑑』1992年版)

  6月04日 高血圧性脳出血から”復活”して3年。今、本腰を入れて執筆に打ち込む。(取材記事)(『自由時間』)

  8月10日 マイ・ベスト5 永倉万治(作家/44歳)(『大アンケートによる少年少女マンガ ベスト100』)

 10月     (兄弟姉妹)兄の闘病生活を支えた妹。退院後文学賞を受賞、めでたく「同業」となる。(グラビア)(『文藝春秋』)


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