永倉万治 年譜(53)
永倉万治 年譜(53)

永倉万治 年譜(53)・1999年

2010/10/31

   ☆ 1999年(平成11)・ 51 歳(小説家時代)

 【社会の動き】

 流 行:リベンジ、ブッチホン、学校(級)崩壊、カリスマ、西暦2000年問題、だんご3兄弟、iモード、五体不満足。

 ユーロ始動(1月)、大手銀行15行に公的資金7兆円投入決定(3月)、ニューヨーク株式市場でダウ平均が1万ドル突破(3月)、日経平均株価が1万7千円台(4月)、石原慎太郎、都知事に当選(4月)、ソニーが犬型ロボット発売(6月)、発毛剤「RiUP」発売(6月)
 NTT分割再編(7月)、自殺者史上最悪、32,863人(7月)、全日空機ハイジャック、機長刺殺(7月)、日興銀・第一勧銀・富士銀の統合合意、メガバンク誕生へ(8月)、自自公連立内閣発足(10月)、日産自動車、大規模リストラ発表(10月)、横山ノック府知事、セクハラ訴訟判決、辞任(12月)、マカオ、中国へ返還(12月)、アサヒ・スーパードライ過去最高販売(12月)

 【生活 年譜】

 更なる飛躍を期待して、昨年改名したペンネームの「萬治」を本格使用する。

 小説では、連載は『週刊小説』に不定期掲載の「男と女のいる風景」一本のみだが、『小説すばる』、『オール讀物』、『小説新潮』、『小説宝石』、『小説現代』など小説専門誌に精力的に作品を書く。

 エッセイでは、『NAVI』と『日経ヘルス』に引き続き連載を掲載。

 単行本、文庫本の刊行はそれぞれ1冊に止まり、出版業界の不振を受けて、状況は悪化し、思うようにならないことも多くなる。

 気分転換のためか、観劇、外出の機会が増え、合気道の稽古も再開する。

  ≪永倉は我が意を得たりと笑い、あれよあれよという間に「永倉萬治」が誕生した。それが一九九八年十月で、一ヵ月後には早くもこちらの名前で本が出ている。(略)
  (しかし)九九年になっても「萬治効果」は現れず、状況はますます厳しくなるばかり≫作133『万治クン』p209

  ≪永倉が身を削るようにして小説を書くのを見ていると、『夕鶴』のおつうみたいで痛々しくてならなかった。
  自分の羽で織り続けたおつうは痩せ細っていったが、彼は不健康に太り始めている。血圧も相変わらず高く、このまま締め切りに追われる生活を続けていけば、いつかまた体を壊すのは目に見えていた。他に収入のあてがあれば、もう少し楽に仕事ができるのではないか≫作133『万治クン』p211

  1月 浅草公会堂に「初春花形歌舞伎」を鑑賞に行く。

  ≪新年は、浅草公会堂で行われた「初春花形歌舞伎」観賞で幕を開けた永倉さん。ひょんなことから片岡亀蔵丈と知り合いになり、ぜひにと足を運んだとか。ふだんのポップさをまったく見せない重厚な演技に大満足≫『週間小説』「筆者の近況」(1999年1月22日号)

  1月 友人・Kと高麗神社へお参りに行く。

  ≪(初詣の賑わいもようやく終わった)その日、私は埼玉の日高市にある高麗神社に行った。(略)
  (帰り道に)K君の運転する車で蕎麦屋に寄った。(略)
  「ガールフレンドにふられたんだ」とK君はいい出した。(略)「そう。もう生きる希望もねえよ」
  「じゃ、死んじゃえば?」と私はシレッといってやった。(略)「ああ、嫌だね。中年のスケベは」と私はいいながら、もう一本、熱燗を頼む。
  まだ辛うじて清々しい気持ちは残っていたが、蕎麦屋を出るころには完全に消えているだろうと思った≫作39『…隣の…』p65

  1月 カメラマンのM君と奥多摩湖へ行く。

  ≪いまにも雪が降りそうな一月末の月曜日。私は(略)M君の車に乗って奥多摩湖を目指していた。(略)
  (奥多摩湖は閑散として、さみしかった。)
  (帰り道で車酔いになり、焼き鳥屋に寄った。焼き鳥屋は)座敷まで明けっぴろげで客が酒を飲んでいる脇で娘がテレビを見ている。(略)
  (しばらくして帰ってきた高校生風の男の子も)座敷に上がっていき、テレビの前に座った。
  (雑然とした雰囲気の中、)客は勝手に飲んでいる。愛想のいい主人がひたすら団扇をあおぐ。(略)
  雪が降りそうで降らない夜。不思議な旅の終点だった≫作39『…隣の…』p129

  2月 「リチャード3世」を観劇に行く。

  ≪2月の終わりの土曜日。(略)その夜は蜷川幸雄・演出の「リチャード3世」をやっていた。(略)
  (芝居は大変面白かった。)
  劇場の外に出ると北風が引き荒れ、寒波でもきたのではないかと思うほどの寒さに変わっていた。(略)
  劇場から駅までの道、私は帽子を飛ばされないように必死になりながら、何もない、本当に何もない、夜の風景の中を一歩一歩杖をつきながら行軍していった。(略)
  駅に着いた時には、リチャード3世の感激もすっかり消えてしまった≫『CUT』「リチャード3世」(1999年5月号)

  3月 藤原歌劇団のオペラ「ラ・ボエーム」を観に行く。

  ≪二月は仕事に追われ、どこへも出かけるひまがなかったという永倉さん。ようやく蜷川幸雄の「リチャード三世」、藤原歌劇団のオペラ「ラ・ボエーム」とたて続けに見に行くことができ、ひといき入れて大満足≫『週間小説』「筆者の近況」(1999年3月19日号)
  ≪藤原歌劇団「ラ・ボエーム」 日時:平成11年3月7日(日)午後3時〜 場所:新国立劇場    出演:ミミ…ミレッラ・フレーニほか 演目:プッチーニ/ラ・ボエーム(全4幕)≫ネット「藤原歌劇団「ラ・ボエーム」」より

  5月 音楽家・下田逸郎のライブを聴きに、渋谷へ行く。

  ≪(永倉さんは)1999年の5月の二夜連続(下田逸郎の)ひきがたりライブ(渋谷ジャンジャン)にも行かれた由≫ネット「永倉万治、永倉萬治さん 永倉萬治さん作品集 最新発刊情報」(現在抹消)より

  5月 友人の作家・吉川潮に誘われて、白山雅一の声帯模写を見に行く。

  ≪「今度、私(吉川)の企画で白山さんの会をやるんだよ。永倉さん、こない?」(略)
  (白山は)今年75歳になる、声帯模写ではいまや最古参の芸人だという。
  そして5月12日。池袋にある芸術劇場の小ホールは満員の盛況で、立見まででるほどだった。(略)
  最初は、(師匠の)柳家三亀松に敬意を表して都々逸だ。私は唸ったね。(略)
  花菱アチャコから歌舞伎の中村歌右衛門、島田正吾に辰巳柳太郎、三遊亭円生……。往年の歌手やら映画スターたちが次から次へと登場する。(略)
  私は、会場を出ながら、思わず、いい晩だったなとつぶやいた≫『CUT』「歌謡声帯模写」(1999年8月号)

  7月 同級生・小原と会う。帰宅後、全日空機ハイジャック、機長死亡を知る。機長長島も同級生。

  ≪土曜日の午後、私たちが待ち合わせ場所である池袋の東京芸術劇場に行くと、すでに小原君はエスカレーターの前に立っていた。(略)
  家に帰り、何気なくテレビをつけると、ハイジャックのニュースをやっていた。アナウンサーが機長の死亡を繰り返し告げていた。
  「えっ!」と私は思わず声をあげた。長島直之。51歳。間違いはなかった。膝が震えた。彼は小原君と同じ、中学校からの同級生だった。(略)
  彼の突然の死は、あまりにも理不尽で、やり切れなくて、さぞや無念だったろうにと、暗然とした気持ちで私はテレビを見続けていた≫『CUT』「同級生」(1999年10月号)

  8月 島田歌穂出演の「レ・ミゼラブル」を観に行く。(予定)

  ≪梅雨の晴れ間に傘を持たず出かけてはずぶぬれになること数度の永倉さん。大好きな「レ・ミゼラブル」観劇の予定もあることだし、いつものごとく第二幕最初の島田歌穂を観て泣くためにも、早い梅雨明けを祈るばかり≫『週間小説』「筆者の近況」(1999年3月19日号)

  9月 27日、NHKテレビ「生活ほっとモーニング」に出演。

  ≪NHKテレビ 8:35 生活ほっと「男たちの復帰」突然の病に倒れた夫▽妻の苦悩、涙の励まし≫『毎日新聞』(1999.9.27)のテレビ番組表

 10月 3日、永倉作品が原作のラジオドラマ「雪の降るまちを」が放送される。

  ≪ラジオ文芸館<NHK AM第一放送> 10:15 「雪の降るまちを」作=永倉万治『どいつもこいつも』より
  あらすじ=50歳を過ぎた良吉は20坪ばかりの家に1人で住んでいる。妻は3か月前に出ていったばかりで現在別居中である。1人暮らしにも慣れてきたある雪の日、良吉は散歩に出かけた。夕やみに沈む雪景色の中で、唐突に歌が口をついて出てきた。それは懐かしい「雪の降るまちを」だった……≫『毎日新聞』(1999.10.3)のラジオ番組表とネット「ラジオ文芸館」より作成

 11月? 近所に合気道の道場を見つけ、しばらくぶりに道場に通い始める。

  ≪「近所に合気道の道場があるのを偶然発見。病気で倒れる前は15年ほどやっていたので思わず興奮。以来無理のないよう楽しみながら道場に通っている」≫『小説現代』「今月登場」(1999年12月号)
  ≪一0年のブランクを経て、長年やっていた合気道をふたたび始めた永倉さん。自宅から歩いていける距離に道場があることに気づいて、喜び勇んで扉をたたいたとか。寒さが厳しくなる前に、体のほうも準備は万全だ≫『週間小説』「筆者の近況」(1999年12月10/24日号)

 11月 17日、音楽家・下田逸郎が司会をする大阪毎日放送の深夜ラジオに出演する。

  ≪大阪毎日放送の深夜ラジオ、XXX//X 1999年11月17日の下田逸郎のゲストとして出演。著作「黄金バット」取材のため、20年ぶりの再会のくだりは70年代、青春を新宿花園神社界隈をすごしたものにとって映画のワンシーンのごとく脳裏に映る。それ以前、1999年の5月の二夜連続ひきがたりライブ(渋谷ジャンジャン)にも行かれた由≫ネット「永倉万治、永倉萬治さん 永倉萬治さん作品集 最新発刊情報」(現在抹消)より

 【作品 年譜】

  1月     家出同盟(『小説宝石』)(→未収録)

  1月     兄さん(『オール讀物』)(→未収録)

  1月15日  文庫本『黄金バット』(講談社文庫)

  2月     クーちゃん(『小説すばる』)(→『あぁ…』)

  2月     愛かボッキか(『本』)(→未収録)

  3月     (私が小説を書き始めた頃)初めての恐妻小説(『小説トリッパー』春季号)(→未収録)

  4月     喜久子の結婚(『小説すばる』)(→『あぁ…』)

  4月15日  単行本『あなたの隣の大切な人』(青春出版社)

  6月     パセリとネクタイ(『小説宝石』)(→未収録)

  6月     梅雨の前に(『小説すばる』)(→『あぁ…』)

  7月     (私の特効薬)アデラート(『小説現代』)(→未収録)

  9月     (こんな紀行文が読みたい!)抱腹絶倒の紀行文求む(『旅』)(→未収録)

  9月     弥三郎節(『小説新潮』)(→未収録)

 10月     「S・マックィーンが好きだから」(『SIGHT』AUTUMN号)(→未収録)

 10月     (忘れられない官能小説)「長恨歌」(『オール読物』)(→未収録)

 10月     のんだくれ(『小説すばる』)(→『あぁ…』)

 11月     フラフラと(『小説宝石』)(→未収録)

 12月     プティット・モール(『小説現代』)(→未収録)

 12月     安らかに眠れ長島、くじけるな「団塊」!(月刊『現代』)(→未収録)

 12月     人蕩し(『オール読物』)(→『これで…』)

 【連載 作品】

 「男と女のいる風景」 『週刊小説』 (永倉萬治 え・真鍋太郎)

   1月22日 秘密のアルバム (→『人の…』)
   3月19日 モモンガ   (→『人の…』)
   8月06日 アイ ラブ デブ (→『人の…』)
  12月10・24日 暗くなるまで  (→『人の…』)
  (このシリーズは不定期連載の短篇集である。全15作。)

 「隣にいるヒト」 『NAVI』 (永倉萬治 イラスト=河村アキラ)

   1月 釜 石 (→『…隣…』)
   2月 秩 父 (→『…隣…』)
   3月 高麗神社(→『…隣…』)
   4月 奥多摩湖(→『…隣…』)
   5月 リチャード3世(→未収録)
   6月 葉桜の季節(→未収録)
   7月 パソコン入門(→未収録)
   8月 歌謡声帯模写(→未収録)
   9月 いい女 (→未収録)
  10月 同級生 (→未収録)
  11月 「なかなかだね」(→未収録)
  12月 ふたりでプリクラ(→未収録)

 「アナタに似たひと」 『日経ヘルス』 (永倉萬治 写真・奈良岡忠)

   1月 I(→未収録)(未見)
   2月 J(→未収録)(未見)
   3月 K(→未収録)(未見)
   4月 L(→未収録)(未見)
   5月 M(→未収録)(未見)
   6月 N(→未収録)(未見)
   7月 O(→未収録)(未見)
   8月 P(→未収録)(未見)
   9月 Q(→未収録)(未見)
  10月 R(→未収録)(未見)
  11月 S(→未収録)(未見)
  12月 21(→未収録)
   (この連載は2000.5号で終了。連載番号21は○に21。)

 「街物語」 『朝日新聞』夕刊 (永倉萬治 撮影・石元泰博)

   3月06日 東京・蛇屋 (→『街物語』)
   3月13日 東京・纏足 (→『街物語』)
   3月20日 東京・とげぬき地蔵(→『街物語』)
   3月27日 東京・サンシャインシティ(→『街物語』)

 【参考 作品】

   1月22日  筆者の近況(『週刊小説』)

   2月     ?(『インポテンス』評)(『星星峡』)(未見)(→中野翠『あやしい本棚』)

   2月     『大復活 脳溢血患者の爽快・熱血リハビリ記』永倉万治 講談社(いしいひさいち『ほんの一冊』)

   3月19日  筆者の近況(『週刊小説』)

   7月     「悟らない」病から立ち直ろうとあがくことが人間の証明 談:永倉萬治(『清流』)

   8月06日  筆者の近況(『週刊小説』)

  12月     今月登場(『小説現代』)

  12月10・24日  筆者の近況(『週刊小説』)


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