永倉万治 年譜(56)
永倉万治 年譜(56)

永倉万治 年譜(56)・2002年

2011/01/24

   ☆ 2002年(平成14)

  永倉万治亡き後の関連事項を記載していく。


 【生活 年譜】

  1月 24日、ラジオ・NHK第一の「ラジオ深夜便」に有子夫人が出演する。

  ≪ラジオ深夜便(NHK第1=後11:20)深夜1時台の作家を語るは「小説家・永倉万治」と題して、作家の永倉有子が出演する≫『毎日新聞』(2002.1.23)のテレビ・ラジオ番組蘭「見もの聴きもの」
  ≪昨夜(24日午前1時台)、車の中でラジオを聞いていたら、ナガクラマンジさんという馴染みのない作家があつかわれていた。(略)
  永倉萬治という作家の奥さんがNHKアナウンサーの森川靄子さんにインタビューされていたのだ。奥さんの名前は長倉有子さんという。
  その奥さんが作家永倉萬治の完成し切れなかった作品を完成し刊行に至ったこともあり、この度の登場となったようだ≫ネット「国見弥一の銀嶺便り」02/01/25 vol.97

  1月 27日、地元の志木会館で有子夫人が「作家「永倉萬治」を語る」を講演する。

  ≪郷土史研究会特別講演会 作家「永倉萬治」を語る 長倉有子氏(永倉氏夫人)
  1月27日(日)午後1時30分 志木市民会館≫ネット「発信21 街の情報(Event)」

  2月 20日、永倉夫妻の友人たちが『ぼろぼろ三銃士』の出版記念の会を開く。

  ≪〜永倉萬治の遺したもの〜 「『ぼろぼろ三銃士』と永倉有子の誕生を祝う会」のご案内
   この10年間、永倉さんの片腕として執筆を支えてこられた夫人の有子さんですが
   絶筆となった新聞連載作品を書き継ぎ、昨年12月に『ぼろぼろ三銃士』として上梓され、
   いよいよ作家として第一歩を踏み出します。
   彼女のこれからの活躍を祝し、一人でも多くの方にお集まりいただければ幸いです。
  日時:2月20日(水)、場所:南青山・スパイラルビル
  対談:戸井十月×永倉有子 「2つの誕生物語」を予定
  発起人:阿蘇喬、長井八美、長澤潔、真鍋太郎ほか多数≫案内状より作成
  ≪二〇〇二年、二月二十日未明。私は久しぶりに、永倉の夢を見ていた。(略)
  その夜は、青山のスパイラルホールで『ぼろぼろ三銃士』の出版記念パーティーが開催される予定になっていた。
  Nさんを筆頭に、永倉が仲良く付き合ってきた女友達の奔走のおかげで、出席者は百名近くになるはずだ≫作133『万治クン』p281

  4月 23日、有子夫人がNHKテレビ「生活ほっとモーニング」に出演。夫を語る。

  ≪NHKテレビ 8:35 生活ほっとモーニング 「伴侶を亡くした時・あなたはどう生きていきますか?」
  長年連れ添った伴侶に先立たれた時、どうその死を受け入れ、新たな生きる支えを見いだしていけば良いのか。(略)
  二年前に亡くなった作家永倉萬治さんの妻・有子さんは、夫の書き残した作品を見事完成させ、自身も作家としてスタートする決心をした。
  夫の死によって、改めて自分の今後の生き方を見つめる有子さんの気持ちを聞く≫ネット「NHKアーカイブス保存番組検索」の番組内容から作成

 11月 永倉万治の友人、野上眞宏が自身の写真展を開催。同時に発行された写真集に永倉の写真がある。

  ≪二〇〇二年、初冬。表参道の交差点に面した、古い雑居ビルにあるギャラリーで『HAPPY SNAPSHOT DIARY Tokyo 1968-1973』と題した、小さな写真展が幕を開けた。(略)
  会場の中央に積まれた同じタイトルの写真集(略)(を知人が持ってきて、)「ナガクラの写真もあるよ」そういいながら写真集の頁を開き、私の前に差し出す≫作133『万治クン』p3

 【作品 年譜】

 【参考 作品】

  12月     生きがいらしきもの 文:永倉有子(『くらしと保険』)

  12月10日  1967年夏 大学の友人、長倉と阿蘇と(写真集『HAPPY@ SNAPSHOT DIARY:Tokyo 1968-1970』野上眞宏)


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