永倉万治 年譜(60)
永倉万治 年譜(60)

永倉万治 年譜(60)・2006年以降

2011/06/19

   ☆ 2006年(平成18)以降

  永倉万治亡き後の関連事項を記載していく。


 【生活 年譜】

  2006年

  9月 3日、有子夫人が茨城県立県民文化センターで行われた第24回「全国失語症友者のつどい茨城大会」で講演をする。

  ≪作家の永倉有子さんは「人生には意味がある」と題して講演。
  六年前に亡くなった夫で作家の万治さんが一九八九年に脳溢血で倒れ、失語症と診断されながらも懸命にリハビリに励んだ日々について話した。
  一度は言葉を失った万治さんが小説執筆を再開させ、有子さんが推敲を担当する共同作業の十一年間についてエピソードを交えながら紹介。
  「人生で起こることに無駄なものは一つもない。すべてがつながっていると思える」と語りかけた≫『茨城新聞新聞』(2006年9月5日)

  2008年

  4月 14日、永倉万治の妹で作家の釉木淑乃が膵臓癌のため急逝。享年54。

  ≪知人の小説家の釉木淑乃さんが14日に療養中の朝霞台中央病院で亡くなったと妹から電話があった。
  妹にとっては青山学院中等部に入学して以来の親友だった。(略)
  あまりにも突然の、早過ぎる死だ。妹は電話の向こうですすり泣いていた。
  家族は今年になって急激に体重が落ちていくのが気掛かりだったというが、入院した時には遅きに失した感がある。
  なぜもっと早く、少なくとも3ヶ月前に病院に掛かっていればと、悔やんでも悔やみきれない≫ブログ「三途乃川の水嵩」より

  2009年

 10月 有子夫人が「全国失語症友の会・首都圏の集い」で講演をする。

  ≪10月3日(土)第6回、首都圏の集いです。 武蔵野市民文化会館で開催されます。(略)
  作家の永倉万治さんの奥様の話、
  永倉万治さんは11年間も失語症と右半身まひと闘いながら、エッセイを書き続け25冊もの本を出版なさっています。
  残念ながら9年前に帰らぬ人となられました。(略)
  お時間のある方は、いえいえ、お時間のない方も無理をしてでもお出掛けになってはいかがでしょうか?
  きっと、元気が貰えること、請け合います。失語症者は一人ではない、仲間がたくさんいます。
  仲間との縁を結びにお出掛けになりませんか?≫ネット「全国失語症友の会連合会事務局日記」

 12月 永倉万治の父・長倉甫政(としまさ)が自身の半生を書いた『俺の来た道 つれづれ帳』を出版する。
     本には、永倉万治が子供の頃の実家の様子や親子の思い出話が綴られている。

  ≪私事で恐縮ですが60年前の私見の色々を綴って置きましたので、87才にしての生命を感じて居りました所、
  故・ペンネーム釉木淑乃の知人のご親切に甘え小さい乍らも、私としては、立派な小誌を出版できましたので御迷惑乍ら、お届け致します。
  お暇の節にでも、御一読戴ければ幸甚に存じます≫同封の長倉甫政の手紙より

  2010年

  4月 14日、永倉万治の父・長倉甫政逝去。享年87。

  ≪永倉万治の折々に、甫政さんがいる。父の愛がある。
  永倉万治の日々に、父親への感謝、思いがある。
  二人はお互いを思い合う素敵な親子である。
  あの世へ行く順番がちょっと違ったが、これで一緒だ。
  心行くまで語り尽くすことだろう。合掌。≫「万治くらぶ」第332号より

 【作品 年譜】

 【参考 作品】

  2006年

   5月      帰ってきた黄金バット 著:釉木淑乃(『すばる』)

   9月      ”遠い世界”としての「黄金バット」 文:長井八美(『青春と読書』)

   9月05日  単行本『帰ってきた黄金バット』(釉木淑乃・集英社)

  10月20日  不器用で熱い「70年代の若者たち」による演劇の魅力 釉木淑乃・帰ってきた黄金バット
           文:わかぎゑふ(『週間ポスト』)

  11月      響きあう兄妹の魂の物語り 釉木淑乃『帰ってきた黄金バット』 文:榎本正樹(『すばる』)

  11月02日  (TEMPO BOOKS)釉木淑乃「帰ってきた黄金バット」(無署名)(『週刊新潮』)


  2009年

  12月01日  作家・永倉萬治さんについて「少年時代の珠玉のような体験に救われる」
          ―永倉有子夫人にインタビュー―(無署名)(『ニュータイムス』)

  12月15日  単行本『俺の来た道 つれづれ帳』(長倉甫政・私家版)


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