万治くらぶ/第226号
万治くらぶ

第226号

2007/04/01 

▲万治なんでも雑記帖(67) 万治の舞台履歴 PartW

 (1-2) 三島由紀夫 「班女」・「綾の鼓」 (66年)

 劇団むらさき会は1966年11月の立大文化祭で「ロング・グッドバイ」を公演した後、12月に特別公演を行なっている。

 有子夫人の『万治クン』にその時のことが書かれている。

 ≪新人公演を打ち上げた後、休む間もなく十二月の本公演の稽古が始まった≫

 ≪演目は三島由紀夫の近代能楽集から『綾の鼓』と『班女』という難解な戯曲の二本立て、しかも新劇の殿堂ともいうべき紀伊国屋ホールでの上演とあって、むらさき会の全員が張り切っていた≫

 彼女は≪私は『班女』でいい役がついた≫とあるが、永倉については≪この公演での長倉の記憶は、ほとんどない。覚えているのは、公演が終わった後の打ち上げコンパで、ギターを弾いたことだけだ≫としか書いていない。

 永倉の『この頃は、めっきりラブレター』にある彼の舞台履歴にも、三島の戯曲は書かれていない。

 この公演に、彼が出演していないことがわかる。

 そのため深く考えることもなく、私はこの公演のことを「万治の舞台履歴」からはずしていた。

 ある日突然、ゴッドハンドの持ち主 佐藤優が『班女』・『綾の鼓』の公演プログラムを見せてくれた。

 彼にはいつも驚かされる。感謝。

 当然(?)、プログラムのキャスト欄には永倉の名前はない。

 『班女』には実子役に奥山有子、吉雄役に佐藤優の名前がある。

 しかし、『綾の鼓』の舞台監督に長倉恭一の名前を見つけた。

 彼は出演者ではないが、スタッフの一員としてこの公演に参加していたことがわかった。

 しかも、『班女』の演出に第210号に出てくる小林豊、舞台装置担当に第223号で紹介した風間研の名前もある。

 考えてみれば、あたりまえの話である。公演活動は劇団の全員の参加があってはじめて成立するものであり、誰かが蚊帳の外ということはない。

 プログラムのスタッフ・キャスト欄をみて、彼らがひとつ釜の仲間であることがよくわかる。


 永倉が担当した舞台監督の役目とはなんであろうか、彼はどう認識していたのであろうか、

 プログラムに、彼自身が書いているのでそれを掲載する。

 ≪舞台監督       長倉恭一
  私は、演劇という新しい世界に入り込んで2ヶ月に満たないある日、演出から急に舞台監督の仕事をおおせつかった。いささかとまどったものであった。そこでこのブタカンというものの役目とそのムードをつかみ、劇の波に乗って行く事から始めた。つまり演劇において現に新劇では、一つの戯曲を演出者の解釈をもって演技者、及び分化された舞台技術(装置、効果、照明など)の全体の統一をして一つの劇となるのである。そしていよいよ当日の上演の幕が上った時、演出プランがこの舞台監督の手に移され、演出者の意図するとおりに進行しているかどうかを監督するのである。その為に、演技者のけい古や技術者に対する演出者の指示のすべてに立ち会って演出者の意図を理解し、上演中にその指示どおり進行しているかどうかを監視するのである。これが、ブタカンの仕事であり役目なのである。
  そして、私のブタカンは、いままで装置に立ち会い、けい古場においては、代役に立ったりなどして、自分なりに「綾の鼓」という戯曲の中に少しづつとけ込んで来た感じではあるが、まだたよりないものである。もっとブタカンの存在位置というものを意識していかなければならないと思う。これを機に演劇というものを体でつかみ、これからの創作活動を続けていく上においての、良きかてとなっていく事をねがっている。――幕――≫


 芝居は役者だけで出来上がっているものではないことを、彼は体験をしながら理解をしていった、かな?


 挿図は「班女」・「綾の鼓」の公演パンフレットの表紙(資料提供は佐藤優)
   1966年12月21日・22日 公演
   場所=新宿紀伊国屋ホール
   原作=三島由紀夫


 舞台履歴の番号を以後、以下の通りにする。

 (1−1)「ロンググッドバイ」
 (1−2)「班女」・「綾の鼓」
 ( 2 )  「ヘンリー4世」


   三島 由紀夫  みしま ゆきお (1925―1970)

 本名平岡公威(ひらおかきみたけ)。小説家、劇作家。華麗な文体と、特異な心理分析、古典的美に裏打ちされた独自の作風により、多くの問題作を発表。天皇中心の国体護持と自衛隊決起を訴えて切腹した。小説「仮面の告白」「金閣寺」、戯曲「近代能楽集」。(『学研 新世紀百科辞典』1981・学習研究社 より)
 詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の三島由紀夫を参照。


  「班 女」
 狂女物の能楽。遊女花子は吉田少将を恋い慕うあまり、他の客へ出なくなり追い出される。少将が会いにきたときにはもう花子はいなかった。その後、少将が賀茂の社に参詣した時に狂乱の花子とめぐり会う。取り交わした扇を見て少将は花子であることを知り、ふたたび契りに帰す。三島戯曲では、満たされぬ約束で愛する青年吉雄を待ち続け、狂気に追いやられた若く美しい女花子、その花子を激しい情熱で欲し、守る芸術家実子。癒されることのない強迫観念、狂気そして孤独が描かれている。結末は能楽とは異なり、花子は再会しても吉雄を認識せず、彼はなすすべもなく去る。花子は引き続き彼を待ち続ける。実子は目を輝かして言う。「すばらしい人生!」。彼女も狂った女「班女」である。(『日本の文学 三島由紀夫』1965・中央公論社およびネットより作文)

  「綾の鼓」
 恋慕物の能楽。ひとりの庭掃きの老人が、女御の姿を見て恋に悩む。そこで恋をあきらめさせようとして綾で包んだ鼓を打たせるが、老人は本気で音の出ぬ綾を打ちつづけながら力尽きて死んでしまう。女御はこれを憐れむが、そこで老人の怨念が現われる。これを三島は現代に置き換え、老小使・岩吉と奥様・華子の結ばれない恋を戯曲で描く。最後に亡霊の岩吉は綾の鼓を99回まで鳴らすが、相手に届かないことに絶望し、消え去る。舞台は華子の「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」という絶望の言葉で終わる。(同上)


 写真は三島由紀夫 ≪昭和39年10月 日生劇場にて≫(『日本の文学 三島由紀夫』1965・中央公論社より)


トップへ

戻 る ホーム 進 む
inserted by FC2 system