万治くらぶ/第271号
万治くらぶ

第271号

2008/04/27

▲万治なんでも雑記帖(81) 松島トモ子の映画

 永倉万治は松島トモ子の映画に出た(?)ことがある。

 『あなたの隣の大切な人』の「くすんで見える同窓会こそ素晴らしい」に書いてある。

 ≪ある日、わが志木小学校に当時のアイドル松島トモ子が映画の撮影にやって来たのだ。しかも私たちも出演するという。
 映画に出るなんて夢みたいなことだったから、皆、夢中になって縄跳びやSケンをやって動き回った。
 映画が完成した時、当然私たちは志木町唯一の映画館・幸乃座に松島トモ子主演「赤いカンナの咲く頃に」を見に行った≫

 エキストラではあるが、まちがいなく永倉は映画出演をしている。

 いま、私は彼の年譜を製作中である。

 この出来事はぜひ年譜に掲載しなければならない。

 ところが、この文章では小学校時代とわかるだけで、何年のことか書かれていない。

 私の調査が始まる。

 ネットのWikipediaで「松島トモ子」を検索すれば、彼女の出演映画がすべてわかるはずである。

 と思ったが、映画一覧は未完成で、その中に「赤いカンナの咲く頃に」はない。

 「松島トモ子」に「赤いカンナの咲く頃に」を加えて検索をする。

 「古関裕而記念館 歌手別一覧」に「松島トモコ、小畑やすし. 赤いカンナの花咲けば. 西条八十. 1955(昭30)05」とある。

 彼女が「赤いカンナの花咲けば」という歌を歌っていることがわかった。

 永倉の勘違いで、映画も「赤いカンナの花咲けば」なのだろうか、それとも歌とは違ってやはり映画は「赤いカンナの咲く頃に」なのだろうか。

 「Fujita HP ひとり言03」に≪… 松島トモ子 が歌っていた「赤いカンナの花さけば」という曲があった。1955年の同名の映画の主題歌である。映画は見ていないが、松島トモ子のコンサートを見に行った記憶がある≫とある。

 今度は「赤いカンナの花咲けば」で検索をする。

 すべてわかった。

 ≪1955年(S30)5月/東京映画(製作)、東宝(配給)/白黒/80分
 ■製 作:三輪礼二/監督:小田基義/脚本:清水信夫/撮影:伊東英男/美術:狩野健/音楽:古関裕而 
 ■出 演:松島トモ子、小畑やすし、市川春代、三條美紀、有田稔、藤原釜足、清水谷洋子
 ■主題歌:“赤いカンナの花咲けば”松島トモ子(歌)、西条八十(作詞)、古関裕而(作曲)
 ■あらすじ:子役スター・松島トモ子主演の母もの映画。満州引上げの際生き別れた母娘を感動の再会へと導くのがこの歌。不幸に耐えて、健気に歌う松島トモ子の姿が涙をさそう≫

 探索中に、この話のエッセイがほかにもあったことを思い出した。

 一段落したところで、それを探した。

 『屋根にのぼれば、吠えたくなって』にそのものずばりの「松島トモ子」があった。

 あっ、またやってしまった。

 ≪「それは、『赤いカンナの花咲けば』ですよ」と志奈枝(トモ子母)さんが教えてくれた≫

 こちらには映画の題名が正しく書かれている。

 こっちを先に見ていれば、こんな回り道をしないですんだのに、あぁ。

 しかし、ここにはこんな記述もある。

 ≪あれは、小学校5年生の時だった。結婚記念日は忘れても、こういうことは忘れるものではない。
 僕の小学校に、松島トモ子が来た。映画のロケに来たのである≫

 永倉の小学5年生は、1958年である。映画は1955年である。

 彼は絶対に、間違いなく結婚記念日を忘れている。

 映画を見たときの様子も『屋根…』に詳しく出てくる。

 ≪そして数ヵ月後に、町の映画館に、その松島トモ子主演の映画がやってきた。(略)
 その場面がくるのを、いまかいまかと待った。ただただあの桜の木のシーンを。
 やがて、待ちに待った校庭の桜がスクリーンに現れた。来た。トモ子ちゃんが涙ぐんでいる。
 そしてその後方に……何かが、うごめいているのが見える。亀はどこだ?目を凝らした。
 子供らしい影が、なにかぼんやりと動いているようにも見える。
 一瞬のことだった。やがて、桜の木も校庭も、ぼんやりとうごめく影も、アッという間に消えてしまった≫

 永倉たちの演じた遊びは、「縄跳びやSケン」ではなく、「鶴亀」になっている。

 彼は一方では題名を間違え、他方では学年を間違えている。その上遊びも異なる。なんでこんな勘違いをしたんだろう。

 エッセイを書くたびに、永倉の記憶も映画と同様、ぼんやりとしてしまうらしい。

 おかげでこちらはいろいろ調べて正確な情報が手に入ったので、結果的にはよかった。


 (ついでに考えたこと)

 映画の撮影はいつ行われたのだろうか?

 確実なことは映画の封切りが5月ということである。

 撮影の数ヵ月後に映画が上映されたと、エッセイにある。

 普通に考えれば撮影は1月前後と思われる。

 映画では主人公が桜の木の下で泣いている。映像的にはたぶん桜の花の咲いている木であろう。

 1月には桜の花は無理である。

 当時の映画製作は撮影から上映まであまり時間をとっていなかったような気もする。

 それに、当時全国一斉の封切りだったのかも確証がない。

 そんなこんなで、結局よくわからない。

 根拠はないが、3月の桜の花の咲いている頃の学校が春休みのときに撮影をしたのではないだろうか。

 上映は5月か、6月で、数ヵ月後というのは彼の思い違い?が無難な線と思える。


  挿図上は『少 女』(1955年11月号・光文社)の表紙の松島トモ子

  挿図下は映画「映画赤いカンナの花咲けば」の一場面(ネット「なつかしの歌声~映画とともに甦る昭和のヒット歌謡曲」より)


 松島トモ子(マツシマ トモコ)略歴

 1945年、旧満州生れ。生後まもなく満州からの引き揚げる。1949年に芸能界デビュー。人気子役として三益愛子との母ものや、嵐寛寿郎の鞍馬天狗など約80本の映画に主演。また童謡、ポピュラー、歌謡曲のレコードを出すなど歌手としても活躍する。1986年にテレビ番組の撮影の為にケニアを訪れ、ナイロビのコラ動物保護区でライオンに襲われ、全治10日の大怪我を負う。現在、車椅子ダンスなど肢体不自由者との交流活動をライフワークとしている。(ネット「松島トモ子 - Wikipedia」ほかより作成)


トップへ

戻 る ホーム 進 む
inserted by FC2 system