万治くらぶ/第374号
万治くらぶ

第374号

2021/09/26

▲万治なんでも雑記帖(164)『Wind』情報(1) 7年目の奇跡!

 先日、突然 松田さんという方からメールを頂いた。『ウインド(Wind)』に関する情報である。

 『ウインド』とは、前号にも紹介しているが、昭和51年(1976)創刊の日本航空関連の「ジャルパック・クラブ」の機関誌である。

 永倉万治が、まだ本名の長倉恭一で、(株)マドラで時々執筆の仕事をしていた頃に彼が手掛けた作品のいくつかが『ウインド』に掲載されている。

 ただし、『ウインド』は昭和54年(1979)4月で廃刊になり、6月に『ウインズ(Winds)』が創刊されている。

 松田さんのメールには「仕事や趣味で海外に行くことが多かった祖母が大切にしていたものの中に『ウインド』がありました」と書かれている。

 その『ウインド』が13冊と『ウインズ』の創刊号もあるという。『ウインド』は永倉万治の初期作品を探すのに必要な大事な資料である。

 この雑誌が日本航空に保存されているか、どうかわからない。公立の図書館には絶対ないと思われる。それほど貴重な資料が、保存されていたとは驚きである。

 今までの『ウインド』については、2014年9月に永倉と一緒に仕事をした田村さんから寺山修司と勅使河原宏の対談記事のコピーを頂いた。

 11月には、『ウインド』の創刊号を頂いている。それ以降は、どこからも新規情報が一切ない。

 それが、7年目の2021年の9月になんと、『ウインド』13冊と『ウインズ』創刊号を松田さんから頂き、それが、いま、目の前にある。奇跡である。

 掲載した図は、13冊の『ウインド』と1冊の『ウインズ』の表紙である。

  上段左から、『ウインド』の創刊前の0号、1−1号(創刊号)、1−2号、1−3号、2−1号、
  中段左から、2−2号、2−3号、2−4号、3−1号、3−2号、
  下段左から、3−3号、3−4号、4−1号、『ウインズ』の創刊号、計14冊である。


 松田さんは、ご実家の品物を整理されていて、お祖母さまが大切にされていた『ウインド』になにか気持ちが引かれたようである。

 少しづつゆっくりとご覧になりながら、これはきっと貴重なものだと思われるようになったという。

 そこで、松田さんは、ネットで『ウインド』をお調べになって、たまたま「万治くらぶ」に出会われたようである。

 《「万治くらぶ」のお陰様でインタビューの録音に失敗したエピソードなどを知り愛着が湧きました。
  「万治くらぶ」を通して永倉さまとつながれたことに感謝しております。きっと祖母もよろこぶと思いますし、永倉さまのご配慮かもしれませんね。
  いま一度、目を通しながら発送の準備をさせて頂きます。》


 永倉万治の作品を探し続けて来た私にとっては、永倉万治の名前以前の作品が掲載されている『ウインド』は絶対見つけられない宝物である。

 私は、失礼をかえりみず、松田さんに『ウインド』を私に送って頂けませんかと、お願いをした。

 私の勝手で厚かましい申し出を、松田さんは、快く受け入れてくださり、全冊を送って頂いたのである。

 松田さんにとって大切な『ウインド』のすべてを送って頂いて誠に申し訳ないが、とてもありがたい。

 こころよりお礼を申し上げ、感謝の気持ちでいっぱいである。

 きっと、万治くんが繋いでくれたに違いない。このご縁を大切にする。

 松田さんと万治くんの気持ちを大事に、二人の期待に沿えるよういろいろ調べてみる。

 頂いた『ウインド』13冊には、長倉恭一の名前で2作品がある。「中央アジアの旅」(第373号に掲載)と「オルブルーズ村」(第275号に掲載)である。

 対談記事も永倉万治の手によるものがあることはわかるが、署名がないので、どれが彼の手によるものかは不明である。

 しかし、永倉万治と親しい知人の名前がいく人か見られるので、永倉作品に入りそうなものがある。

 あとは、冊子の巻末に編集後記があり、(N)と名の付いているものがいくつかある。じっくり読んでみて、永倉の文章かどうか検討してみる。

 わかったことから、少しづつ「万治くらぶ」に掲載して、喜んでもらえるように絶対にがんばるぞォ〜。


  写真は『ウインド』13冊(1976.3〜1979.4)と『ウインズ』1冊(1979.6)の表紙。


トップへ

戻 る ホーム 進 む
inserted by FC2 system