松田さんから頂いた13冊の『ウインド』を調べるとすべてに対談、鼎談、座談会のどれかがある。『ウインド』のメイン企画は対談かもしれない。各種業界の著名人を招いて旅行につながるテーマで話をしてもらうのは愉しみである。
永倉万治は学生時代に演劇部に所属し、活動をしていた。自身の勉強のためにいろいろな劇団の舞台を見にも行っていた。
そのひとつに、アングラ劇団の「東京キッド・ブラザース」がある。永倉万治は「東京キッド・ブラザース」に関心が湧き、入団をする。
その劇団を設立者が、東由多加である。永倉は入団後、ニューヨークで東由多加の構成、演出の『GOLDEN BAT』に出演している。
はじめは、公演も決まらず稽古に明け暮れ、しばらくして、オフ・オフ・ブロードウェイの小劇場で『GOLDEN BAT』を上演する。
そこで評判をとり、今度は一格上のオフ・ブロードウェイの劇場で公演を続ける。
オフ・ブロードウェイは日本の劇団としては初めての公演である。
最後にはエド・サリバン・ショーにも出演するほどになった。
その東由多加とルポライターの沢木耕太郎の対談が、『ウインド』1-3号に載っている。
この対談は間違いなく、永倉万治による企画と言える。対談のテーマは「レジャーの世界を漂流する」である。
沢木:あなたが、いちばん最初に行ったのはアメリカだったよね。どのくらい行ってたの?
東 :九ヵ月も暮らしてしまった…。
沢木:その時は、何人くらいっだったの?
東 :全員で15人。
沢木:でも、毎日、芝居ばかりやってたわけじゃないんでしょう?
東 :いや。それが、毎日飽きもせずやってた。だから、心弾むニューヨークっていう感じでもなかったね。
ただ面白いと思うのは、乗ったフェリーボートがニューヨークを離れていく瞬間に、
初めて、ああニューヨークにいるんだなあ、みんな感動するわけ。対談の始まりは東が海外での初公演のニューヨークでの思い出話しからである。
同じ体験をしてきた永倉万治は、懐かしい思いいっぱいに聞いていたことだろう。
話は、レジャーと仕事を巡る思いへと移ったり、レジャーは幸福の瞬間といいかえてもいいねと進む。
東洋に共通な”茶”があるとか、外国で会った漂流する若者たちのことを語る。
そういえば、永倉万治は大学3年のときに休学をして一人で放浪の旅に出かけている。
ナホトカからシベリア鉄道でモスクワに、それから欧州をぐるっと一回り。
さらに北アフリカ、中近東と回って、最後は東南アジアをうろうろして日本に帰ってきた。
東・沢木対談で語られた漂流する若者そのものが永倉万治である。彼もメモを取りながら話を聞いて、楽しかったことだろう。
最後に、東がテーマのまとめに入る。
東 :繰り返し、最後にとどめとして、レジャーについて言うならば、常にドラマチックなことが旅にあったり、レジャーをすることが、
ある夫婦のドラマチックな幸福につながるとは、さらさら思わないが、しかし、ドラマチックな幸福を求めたいという人間の願望によって
すべてのレジャーというのは存在している―― 、私はそう規定して帰ります(笑)。
この対談は、永倉万治の著作ではないが、彼が構成して執筆したと思う。松田さんお陰で永倉が関与した作品が一つ発掘できた。感謝申し上げる。
写真は、左・東由多加、中・『ウインド』1-3号の表紙、右・沢木耕太郎。
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