万治くらぶ/第376号
万治くらぶ

第376号

2021/10/10

▲万治なんでも雑記帖(166)『Wind』情報(3) 風間研の寄稿

 前号で、少し触れた話であるが、永倉万治は大学3年の時に一人で海外放浪の旅に出かけている。

 日本を離れて、4ヵ月ほどして、フランス東部の都市、ブザンソンを訪ねている。

 永倉はブザンソンの大学に留学している友人に会いに行ったのである。

 その時の様子を永倉が書いている。(要約)

  《突然現れた僕を見て、友達は少し驚いた風だったが、遠い遠い極東からやって来た友達を歓待してくれた。
   彼は引き出しから米と鮭の缶詰にインスタント味噌汁を取り出した。「おおお」と僕は、絶句した。
   四ヵ月も日本食を食べていない僕の頭の中は真っ白になって、体が震えた。
   僕は、何もいわず、ご飯をほおばる。鮭缶もだ。「うまい!」。異国での友の親切・情けが心に染みた話である。》

   その友達の名前は「風間研」という。風間氏は、大学の演劇部で、永倉の一年先輩である。

 後に、この関係を頼りに、永倉は風間氏に原稿の依頼をしている。

 その作品は、『ウインド』の2-4号に掲載されている。風間研「芸術家たちの街」である。

 『ウインド』の巻末には風間氏の紹介もある。

  「風間 研(かざま けん)フランス文学研究家。1946年生まれ。
   東京薬科大学などでフランス語の教鞭を取りながら雑誌に演劇評論を執筆。学生時代にパリに滞在。」

 ちなみに、彼の父親は、挿絵画家で著名な風間完である。永倉はこの縁を生かして自身の著作『おけら』の表紙に絵を描いてもらっている。


 風間研「芸術家たちの街」を紹介する。

  《「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこですごそうとも、
    パリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ」》

 風間氏は、ヘミングウェイの一文を紹介し、パリの路地裏に芸術家たちを偲ぶ。

 サンジェルマン・デブレ界隈では、
  《私はギベアの作詞作曲によるグレコの歌を思い出す。”イルニヤプリュダブレ・続きはもうないんだ”――
   かつて住んだサンジェルマン・デブレに何年か後に再びやってきても、もうそこにはむかしの
   サンジェルマン・デブレはない。グレコは若い頃この街に住んでいた。おそらくこれは彼女自身の体験だろう。》

 モンパルナス界隈では、
  《モンパルナスを語るには、「カフェ・ドーム」と「カフェ・ロトンド」から始めるべきだろう。どちらのカフェも
   かつてはモジリアニ、マチス、レジェ、ピカソ、スーチン、フジタをはじめとするエコール・ド・パリの画家など、
   ありとあらゆる芸術家たちのたまり場だった。フジタが有名になりたくて逆立ちして歩いたという逸話が残っている》

 モンマルトル界隈では、
  《丘の上のサクレ・クール寺院のよこのテルトル広場はユトリロの絵で有名だが、いまは観光客相手の似顔絵描きで溢れている。
   コルト街のユトリロの住んだ家にはルノワールも住んだことがあり、現在は「古きモンマルトル」博物館になっている。》

 風間氏の文を読むと、パリの裏町巡りをしたくなる。パリに1ヵ月程滞在した永倉も、きっとまた行きたくなったと思う。

 風間氏の文章のなかに風間完の挿絵がいくつかある。この楽しい絵もパリ行きを誘っていてる。


 これで、本編は終わりと思っていたが、実は風間氏からの原稿はもうひとつあった。

 4-1号の「マジョルカ島旅行」である。

 これは、風間氏がフランスで暮らしていたときに、夫人といっしょに地元の旅行社のパッケージ・ツアーでの体験記である。

  《その当日。僕らは鞄と書類、といっても航空券とホテルの支払済証みたいな紙切れだが、をもって集合場所のオルリー空港に行った。
   指示された大きなワッペンを張った鞄を持った僕らに、旅行社の係員が寄って来て、手荷物以外はチェック、そして通関となった。
   あとは自由に搭乗して、およそ団体旅行という感じでない。二時間足らずでマジョルカ島に到着。
   (現地の係員に支払済証を見せ、先客が乗っているマイクロバスに乗り、予約したホテルに着いた。降りたのは自分たちだけだった。)
   いったいこれがパック旅行なのだろうか。ホテルのフロントで支払済証を見せると部屋の鍵をくれ、なにもかもスムーズ。
   どこが個人で旅行するのと違うのだろう。これで一泊一人70Fもしないというのだから驚きだ。
   島での生活は、物価も安く、人も少なく毎日がバカンス あっという間に日々は過ぎ去りパリに帰る日になった。
   まったくフランスのパック旅行は個人主義の発達した国の団体旅行という感じで、
   利用しなければただ損をするだけで、個人で旅行するのと実際大した違いはない。》

 なるほど、日本のパック旅行とは大違いである。

 永倉万治もそのとき、海外のパッケージ・ツアーを知っていたら、もっと楽に欧米の旅行をできたかもしれない。

 いや、永倉には勝手気ままな、その場、その場で行く先を決める思い付き旅行の方が、似合っていると思う。

   それにしても、永倉万治の人脈というか、顔の広さ、依頼の上手さ、熱心さ、感心するばかりである。


   写真3:『ウインド』2-4号の表紙(1978.1)

   写真4:永倉万治著『おけら』(1996・文藝春秋)の表紙。装幀・風間完。

   写真5:風間完の挿絵。『ウインド』2-4号に掲載。


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