万治くらぶ/第384号
万治くらぶ

第384号

2022/02/27

▲万治なんでも雑記帖(174)『Wind』情報(10) 編集部構成の作品

 永倉万治は1976年4月にマドラ株式会社で編集部員の一員となり、『ウインド』が廃刊となる1979年4月まで勤めている。

 その間に対談の企画をしたり、長倉恭一(本名)でエッセイを書いたり、(N)で編集後記などを書いている。

 いままで、永倉作品と確定できるものを探してきていたが、それは限界に達したと思う。

 ただし、編集部員は無記名で多くの文章を書いている。『ウインド』には、編集部構成と書かれた作品がある。

 それらに永倉万治が関与していたことは、間違いない。

 しかし、彼一人のものでもない。

 それを承知で、編集部構成の作品と類似作品にどのようなものがあるか、調べてみる。


 1-3号 レジャー&スポーツ 世界ところどころ (無記名)

     @ポニー・トレッキング、A競馬フェア、Bトリム・パーク、
     Cエコノミック・スキー、Dグライダー天国 

 2-1号 見直される団体旅行  (無記名)

 2-2号 『ボストン・マラソン』 ゼッケン33番宇佐美彰朗選手とともに (無記名)

 2-2号 クアラルンプールを探せ! (構成・編集部)
     @ガイドブック A旅行者の証言 Bザガリヤ・マルカヤ氏の話その1 Dテレフォン・インタビュー Hドリアン語録、など

 2-3号 メキシコシティ 現地取材 (構成・編集部)
     @週末のメキシコシティをいく …… アメリカ風朝食、チャプルテペック公園、土曜バザール、ソチミルコへ、トラケパケ、など
     Aタクシー・ドライバーはモニュメントが好き …… グァダルーペ寺院、三文化広場、レフォルマ通り、どろぼう市、など
     Bメキシコの中のスペイン インデペンデンスルートを行く …… テナユカの遺跡、グァナファトの地下道、薔薇色の都市モレリア、など

 3-1号 「青春旅行のまん中は、道に迷っているばかり…」 古今東西のロンサム・トラベラーにみる青春旅行10のスタイル (編集部構成)
     @栄光旅行・小沢征爾 A出発を決めたあの一言・沢木耕太郎 B旅立ちの理由・モーパッサン 
     C駈け落ち旅行・DH・ロレンスD大逃亡旅行・ロナルド・ビッグス Eサハラ砂漠に死ス・上温湯隆 
     F南方憧憬旅行・ゲーテGトロヤ旅行・シュリーマン H家出旅行・トルストイ I武者修行旅行・大山倍達

 3-3号 旅先からの手紙  (編集部構成)
     @パリからの手紙 妻へ・横光利一 Aロンドンからの手紙・夏目漱石 Bマルセイユからの手紙 両親へ・桐島洋子
     Cパリからの手紙・片山敏彦 Dアイオワからの手紙・白石かずこ Eカサブランカからの手紙 母親へ・サン=テグジュペリ
     Fニューヨークからの手紙・池田満寿夫 Gパナマからの手紙・竹久夢二 Hアデンからの手紙・ポール・ニザン
     Iサンフランシスコからの手紙・幸徳秋水

 3-4号 たのしいオセアニア (無記名)
     @オーストラリア …… パブに行かなけりゃオーストラリアはわからない、イースター・ショーはオーストラリア最大で最高の祭、など
     Aニュージーランド …… ニュージーランドの明治村、夢のある通りパーネル・ロード、二月の楽しみはフラワーコンテスト、など


 以上の企画に永倉万治が参加していたことは間違いないとは思うが、確証はない。

 私の想像でしかないかもしれない。

 取りあえず、記録だけは残しておくことにする。

 いつか、永倉作品探索の参考になったら幸いである。


   写真25:「見直される団体旅行」のイラスト・パリのエッフェル塔 (『ウインド』2-1号より)

   写真26:「インデペンデンスルートを行く」サン・ホアン・デル・リオの町 (『ウインド』2-3号より)


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