松田さんから頂いた13冊の『ウインド』を調べ、永倉作品の探索が第381号で終わって、しばらく経った。もう確実な永倉作品はないけれどと、思いながらなにげなく『Wind』を拾い読みした。
各号の特集に関連した小エッセイにいくつか目を通した。
『Wind』1-3号の特集は、「世界のレジャー&スポーツ」である。
どんなレジャーやスポーツを取上げているのだろう、ページをめくっていたら「バカンス余話 パリのおまわりさん」に出会った。
パリでは7月初めの頃にグラン・デパール〈大いなる出発〉と呼ばれるときがあり、パリ市民はいっせいに太陽と海へ出発するらしい。
そのようにパリが浮わついた空気のときに、エッセイの執筆者が遭遇した話である。
《ことの起こりは地下鉄である。車内は混雑をきわめていた。身動きもできないくらいだった。
電車がアンペール駅に到着すると、何人かの乗客が降り、車内の混雑も幾分落ち着いた。
その時だった。床に目をやった私は、コクヨの手帖、日本語の名刺などが散らばっているのを発見した。
それらはすべて私のものだった。私のショルダーバッグは底を切られ、財布やパスポートも消え失せていた。
やられた、アイツらだ!くやしさを通り越して、唖然とするばかりだった。
駅員は「またか」といった顔つきで、私が行くべき警察署のアドレスを書いてくれた。》ここまでの話にレージャーやスポーツは出てこない。なにがレジャーにつながるのだろう?
ただ、話としてはエッセイの主人公がパリ滞在の日本人という姿が見える。
ひょっとしたら執筆者は、学生時代に一人で欧州旅行をして、パリに滞在したことのある永倉万治自身かもしれない。
《サン・ジョルジュ署。私は沈痛な面持ちで被害状況を話し始めた。金はあきらめたが、パスポートには困った。
私のその夜の出頭は、仮の旅券紛失証明書をもらうため、ただそれだけのことだった。
翌日、今度はモンマルトル署に出頭した。前夜と同様に被害状況を述べた。
若い警察官は「あの辺りがいちばんスリの被害の多いところである。君はツイていない。」というようなことをいった。
ひどく親切な男だった。そして上機嫌であった。彼はテキパキとタイプを打ち、実にスピーディに仕事を進めた。
警官氏はタイプを打ち終ると浮き浮きした動作で机の上を整理し、「これで私の仕事はおしまい」といった。
そして席を立ちながら一言、「バカンス!」といって、私にウインクしてみせた。》何たる話であろう。警察官は被害者のために一生懸命動いてくれていたのではなかった。
自分がバカンスを早く楽しみたくて、テキパキ動いていたとは……。
警官にはあきれるが、話のオチは面白かった。
文末に、七月のパリの警察官は一万二千人いるが、休職者六千人、要人警護千人、内勤事務千人で市の警備はわずか四千人となると説明がある。
ここまで読み終わってビックリした。最後に(K・N)と署名があった。永倉の本名、長倉恭一の頭文字である。
さすが、永倉万治のエッセイは楽しい!
写真23:永倉作品掲載の『ウインド』1-3号の表紙写真24:パリのおまわりさん(『ウインド』1-3号より)
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