万治くらぶ/第382号
万治くらぶ

第382号

2022/02/02

▲万治なんでも雑記帖(172) 吉報は突然に!

 私のところに永倉万治についての吉報が、突然に届いた!


 永倉万治には、中学・高校で同級生だった湊廣という親友がいる。

 1984年2月に、その湊君が東京文京区にある椿山荘で結婚式を挙げた。

 招待された永倉万治は、祝辞の時、マイクを片手に自身の特技を披露して、参列者を笑わせ、宴を大いに盛り上げた。

 という話を、私は湊君から聞いていた。そのときの様子がビデオテープ録画されているとも言われた。

 ただし、テープを何処に仕舞ってあるか忘れたという。見つけた時に見せてくれると約束をした。

 あれから、何年経っただろうか。5年、10年、いや15年年、…。私の頭のなかでも記憶が薄れていた。


 湊君からのメール。

  《ご無沙汰致しております。『万治くらぶ』も381号まで発行され素晴らしいです。
   やっと友人のKくんが撮ってくれたVHSのテープがみつかりデジタル化しました。
   「エンターテナー永倉万治が私の結婚式のスピーチ」
   永倉万治くんのスピーチを添付いたしましたのでご査収の上よろしくお取り計らい下さい。
   有子夫人にもお伝えしてあります。時節柄ご自愛ください。》

 同期の仲間はありがたい。何年経っても約束を果たしてくれる。

 これも永倉万治との縁であろう。感謝感激である。


 早速、私は送られてきた動画を見た。

 そこには、青年永倉万治が嬉しそうにお祝いの言葉を話し、思い出話を楽しく語り、みんなの笑顔がある。

 永倉は、学生時代にシベリア鉄道に乗り欧州貧乏一人旅をした、いわゆるバックパッカーである。

 各国で、いろいろな体験をして、言葉も覚えた。その時の思い出を生かして言う。

 ロシアでは春を待ち望むとき、”雪が溶けてうれしい”というらしい。それを永倉がロシア語で言う。

 本当にロシア語で言っているのか、ロシア語風永倉語なのかわからない。会場は 一瞬静まり、終ると大笑いで拍手。

 スウェーデン語、ルーマニヤ語など聞いたことのない言葉で、チョット歌う。みんな、笑い続けつぎを待つ。

 韓国語では、どこかの女性報道アナウンサーみたいに力強く言葉を切って語る。

 永倉は、もうこの時、タモリや中川家の礼二に勝るとも劣らない抜群のエンターテナーであった。

 素晴らしい才能である。

 彼は劇団「東京キッドブラザース」の一員のとき、ワシントンのセントラル・パークでの反戦集会に参加して、
 500人の聴衆をまえに、ガンガンとアジ演説を絶叫している。

 ノー・モア・ヒロシマ! ノー・モア・ヒロシマ! 

 もう、人前で外国語でしゃべるなんてへでもないのかもしれない。


 外国旅行での思い出を語る。

 ”今から7〜8年前、何もしてなかった頃、ポルトガルからパリへ向かう特急列車に乗った。その前日カジノでたまたま勝って懐が豊だった。
  一人で乗ってたコンパートメントへ貧しい日本人の青年がやって来たのでこっちに来たらと呼んだら笑顔が可愛いかった。
  学校はどこだと聞いたら、立教と言い、名前は湊という、思わずまさか、あの湊の弟ではないかと聞いたら、あのまさかです。”

 会場に豊かな笑いが溢れる。こんなにも奇跡的な出会いがあるなんて不思議なできごとである。

 この話は永倉にとって忘れられない思い出なのであろう。彼の『二丁拳銃でドカン!』(1996・勁文社)に詳しく書かれている。

 永倉の話はとどまるを知らず、やれば一時間でも行きそうである。彼は思わず腕時計を見る。

 最後に、今日の結婚披露宴のお祝の言葉を、シャンソンを唄うがごとくフランス語で流暢にまとめた。

 これで、笑い満載の思い出深い結婚披露宴になった。永倉万治の輝く才能のおかげである。

 湊君から送られてきた吉報は、「万治くらぶ」にとって貴重な宝物なった。ありがとうございました。


   写真3点は湊廣氏の結婚披露宴で祝辞を語る永倉万治。(湊氏所有の結婚披露宴のビデオより)


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