『ウインド』は編集後記を見ると、創刊からしばらくは執筆者の名前がない。
1-0号から2-1号までは、「Windという雑誌名」「創刊号ができました」「メンバーズ・レポート募集」「メンバーズ・レポート入選発表」などのお知らせ記事である。
2-2号から3-1号までも、執筆者名がないが、特集についてエッセイを書くように興味深く綴っている。
例えば、”旅は、道のえらび方に左右される、といってもよいでしょう。
玄関の扉を開けたところから、旅人は、自分の道をえらぶ破目になります。(中略)
そこで、今号の特集は「道とドラマ」。
「道」をとおして、旅のあり方、旅のたのしさを考えてみようというわけです。”(2-2号)この文は単に特集の題目を告げているだけではなく、読む人に興味が湧いてくるほどの魅力を示している。
私には永倉万治の文章と思われる。
2-3号では、メキシコ特集について”現地取材という新しい試みに挑戦しました。”とある。
目次には「現地取材 メキシコシティ 構成・編集部」とある。
もう、間違いなく永倉の執筆である。
以下、3-1号までの編集後記は一人の編集部員によって書かれているのですべて永倉の文章と思われる。
3-2号からは、執筆者が複数になり、(N)(S)(I)などが出てくる。
(N)は永倉である。
3-2号は”今回のドイツ取材は、晴天に恵まれ、短時間にアレやコレやと取材するわれら取材班にとっては、実に良いコンディションでした。”
前号で紹介したとおりである。
4-1号までの編集後記の(N)は永倉万治である。
そして、この号が最後になる。全文を掲載する。
” ひとつのことが、終るというのは、実に気持ちのよいものです。キレイさっぱりという感覚がたまりません。
もちろん、そこには、ちょっぴり、もの哀しいような気分がともない、それがまた、この”終る”ということの快ちよさに、絶妙な花を供します。
一応、私事で恐縮ですが、この「ウインド」の、この号を持ちまして編集スタッフも交代、これでおしまいです。
ということで私にとっては最終号「ウインド」、愛着深く、ラストショーともなれば、当然張り切ってしまうわけで、
そこをじっと抑制し、巻頭グラビアは、虫明亜呂無さんの「終着駅」とシャレてみました。
最後はハワイの夕日で終るという構成は、ささやかなりとも、短い年月、熱中させていただいたこの「ウインド」誌に対する
私たち編集部の思いをこめたつもりですが、さてさて、いかがなものでしょうか。
よろしくご愛読下さい。さようなら。 (N)”
「ウインド」誌、そのものが終りで、1979年6月に「Winds」(ウインドズ)が創刊されている。なんとも、突然の話で、驚きである。残念であり淋しいが仕方がない。
これで、ひとまず『Wind』情報は終わりとなる。
ローマのテルミニ駅・15番線 ・ ハワイアン摩天楼・サンセット 「万治くらぶ」は長い間、休刊であったが、9月に松田さんから『ウインド』13冊を頂いた。
そこには、多くの永倉万治情報が詰まっており、それらを少しづつ解きほぐし掲載ができた。
9月26日の第374号からこの381号まで、8回にわたって新情報を見つけてこられた。
改めて、松田様には心よりお礼、感謝申し上げます。ありがとうございました。
写真20:『ウインド』4-1号(終刊号)の表紙写真21:ローマのテルミニ駅・15番線のプラットホーム(『ウインド』4-1号より)
写真22:ハワイ・ホノルルの夕暮れ(『ウインド』4-1号より)
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