永倉万治 年譜(44)
永倉万治 年譜(44)

永倉万治 年譜(44)・1990年

2010/02/28

   ☆ 1990年(平成2)・ 42 歳(小説家時代)

 【社会の動き】

 流 行:ファジィ、“ブッシュ”ホン、オヤジギャル、アッシーくん、バブル経済、ちびまる子ちゃん(現象)、一番搾り。

 オウム真理教が政治団体を結成(1月)、勝新太郎が麻薬所持容疑で逮捕(1月)、JR御徒町駅ガード下道路の陥没事故(1月)、オウム真理教が衆院選で惨敗(2月)、ソ連、大統領制の導入と憲法改正案成立(3月)、大阪で花の万博開幕(4月)、太陽神戸三井銀行が発足(4月)、藤山寛美が肝硬変で死亡。60歳(5月)、米・ソが戦略兵器削減交渉(START)条約に基本合意(6月)、日系フジモリがペルー大統領に当選(6月)、イラン北西部で地震。死者約5万人(6月)
 女子高生が校門に挟まれ死亡(7月)、イラク軍がクウェートに侵攻(8月)、ニューヨーク原油が35ドルを超し、最高値(9月)、バブルはじけ、東証株価が続落、2万円台を割る(10月)、東西ドイツが統一し、「ドイツ連邦共和国」が誕生(10月)、集団下痢で園児死亡。病原性大腸菌O157検出(10月)、連続爆弾ゲリラ事件で警察官ら7人死亡(11月)、協和埼玉銀行が発足(11月)、湾岸危機、イラクが日本人人質36人を解放(12月)、ポーランド大統領にワレサ委員長が当選(12月)、オグリキャップ、最後のレースを優勝で飾る(12月)

 【生活 年譜】

  脳溢血から奇跡の生還を成し遂げたが、体はまだ思うようにはいかない。月に一度の通院だけでなく、毎日のリハビリに余念がない。
 執筆は、ワープロの操作ミスを機に夫人との共同・分業作業となり、単行本用の書下ろしを手始めに、月刊誌、週刊誌、新聞などに多くの作品を掲載する。
 9月に復帰第1作目の『陽差しの関係』が出版され、一安心。作家としての自信も戻る。
 連載も6月から月刊『現代』に「アナタの年頃」を再開し、10月から『月刊カドカワ』に「平成元年闘病記」を、11月から『小説現代』に「流れの外から」などを書き始める。
  ≪退院してから一年あまりは、毎日がリハビリの日々だった。(略)
  毎日やることが重要なのだ。継続こそ力なり。なんでも続けるのだ。いやな言葉だね。
  思春期に運動部に所属していたことで唯一得たものがあるとすれば、同じことをバカみたいに繰り返すことができるということだ。(略)人間、何が幸いするかわからない。ともかく毎日やった≫作34『大復活』p52

  2月 有志による「社会復帰パーティー」開催。

  ≪翌年の二月、僕の社会復帰のパーティーをやってもらった。五十名ほどの人たちが集まってくれた。僕は感激していた。
  (略)(マイクの前で)僕は短い言葉で、「あっ……ありが……と……ござまし……た」と、失語症まるだしでいうのが精一杯だった≫作34『大復活』p28

  2月 単行本『星座はめぐる』出版。

  ≪この本は『オール読物』で連載した「寄り道コレクション」をまとめたものです。それに『日本カメラ』に連載した何本かと「テキサス通信」「サム・シェパードには、会えなかった」が『ブルータス』に書いたものです。最後の三本は、脳溢血をやってから書きました≫作15『星座……』p238

  3月 昨年から書き続けてきた「陽差しの関係」の原稿が400枚になる。出版社に連絡をする。

  ≪翌年の三月。(略)小説は四百枚に及ぶ長編になっている。
  一度、編集者に読んでもらいたい。(略)講談社に電話をした。(略)
  「よく書きましたね(略)これだけ書いたのなら、『小説現代』に載せるより、そのまま単行本で出す方がいいと思います」(略)
  これほどうれしいことはない。これで本当に社会復帰できると思った≫作34『大復活』p195

  ≪半年後、『陽差しの関係』は完成した。倒れてからまる一年がたっていた。四百枚の長編小説で、そのうち失語症になってから書いたのが三百二十枚。ほとんど書き下ろしと一社だ。一年前に「オハヨー」というのがやっとだったことを思えば、これはもう奇跡としかいいようがなかった≫作133『万治クン』p181

  5月 原宿で「健康を確認するパーティー」を主催。百人以上の人が集まってくれた。

  ≪五月の二十四日、原宿のギャラリー・フェイスにおいて、作家の永倉万治さん(42)の「健康を確認するパーティー」が催された。(略)「当初、『五、六人来ればいいや』程度のものだったのに、驚いたことに、百人以上の方々が来てくれました。人数じゃないんですけど、うれしかったですね。影山民夫さんからは『講談シュアエッセイ賞を取った人で直木賞を取ってないのは、あなたと沢木耕太郎さんぐらいだよ』なんて言われちゃいましたけどね(笑)(以下略)」≫『週刊文春』(1990年6月7日号)(注記:2月のパーティと同じものか、別のものか不明)

  6月 病気になる前に、月刊『現代』に連載していた「アナタの年頃」を再開する。

  ≪連載再開=東京サラリーマン・ラプソディ アナタの年頃<第17話>人生の秋へ決意をこめて 最後のロック・コンサート≫月刊『現代』(1990年6月号)

  ≪月刊「現代」に連載され、途中、僕が倒れたために一年あまり休んだことはありましたが、なんとか復帰できた。僕自身の”激動の記録”とひそかにそう呼びたいくらい思いが深い。
  月刊「現代」の元編集長杉本暁也氏といまの編集長佐々木良輔氏には連載を続けさせてくれたことを感謝します≫作17『……年頃』p229

  7月 『野性時代』に小説の連作を書き始める。

  ≪角川書店の石原さんが小説の構想を持ち込んできたのだ。(略)『陽差しの関係』の出来を見て、そろそろ良かろうと思ったらしい。(略)
  連載は無理だから、書けた時に掲載してもらうのはどうか?(略)締め切りは怖いから、締め切りなしでやろう(とお願いした。)(略)
  自伝的な小説は初めてだった。大学生の頃から現在の半身マヒにいたるまでの物語だ≫作34『大復活』p209

  9月 単行本『陽差しの関係』が完成し、出版する。再び小説が書けたことをよろこび、作家活動の再開を確信する。この復帰第1作が吉川英治文学新人賞の候補作品にノミネートされる。

  ≪(原稿を見てもらって、)それからいくつかの手直しをして、平成二年一月(注:9月が正しい)に、僕の初の長編小説『陽差しの関係』は晴れて本になった。
  しかもこの小説は、この年の吉川英治文学賞新人賞の候補にまでなったのだ。
  『陽差しの関係』は、僕にとって思いの深い作品になった≫作34『大復活』p197

 10月 『月刊カドカワ』に脳溢血の闘病体験記を連載開始。

  ≪最初、角川書店から闘病記を書かないかといわれた時、彼はあまり乗り気ではなかった。あのつらい日々を思い出したくないのと、病気を売り物にしたくないという彼なりの意地からだった。(略)
  私は彼に闘病記を書くべきだとすすめた。(略)どんな人が書いたものであれ闘病記は貴重な情報源であり、そこからかすかなきぼうを見いだすこともできた。(略)
  「わかった。有子がそれほどいうなら書くよ。そのかわり、本を一冊書いたらイヤな重いでは全部忘れよう」≫作133『万治クン』p183

  ≪僕が、まだ、失語症で返事も満足にいえない時、病院に現れて、闘病記を書くことを決めた『月刊カドカワ』の編集長・見城徹氏(略)に改めて、お礼を申し上げます≫作19『…闘病記』p246

 10月 20日、「ホセ、故郷(テキサス)へ」のテレビドラマ化「ニューメキシコから来た男」を放映。

  ≪イッセー尾形ふんする球団通訳がお払い箱寸前の外国人選手のために奮戦する。永倉万治原作、内藤誠脚本、山本晋也監督≫『朝日新聞』1990.10.20テレビ番組表

 11月 『小説現代』にエッセイ「流れの外から」の連載を書きはじめる。

  ≪ある日、「小説現代」の当時の編集長だった宮田さんと土屋さん、玉川さんが家に来てくれた。(略)
  しばらく雑談を交わしているうちに、宮田さんがじっと僕を見つめて、「十五枚くらいの軽いエッセイを書きませんか?(略)
  不自由になって初めて見えるものもあるでしょう。だから永倉さんも、月に十五枚のエッセイ、風景でも身辺の出来事でも、体がだんだん治っていくのと並行してゆっくり書いていく。どうです?エッセイ、得意でしょう?こういうものから、ゆっくりと始めるのがいいと思いますよ」
  うまいものだ。断りようがない。僕は思わず、「や、やっりっます」と答えていた≫作34『大復活』p199

  ?月 大貫妙子のラジオ番組に出演。思うように話せない。

  ≪しばらくたった頃、(略)ラジオのゲストによばれた。大貫妙子さんの番組だった。
  (略)やはり、ダメだ。(略)立ち直れないような失意と情けなさを感じていた。もう人前ではしゃべらないようにしよう。そう決意した≫作34『大復活』p40

  ?月 失語症に悩まされ、孤独に陥り、赤面対人恐怖症になる。

  ≪退院して半年ほどたった頃が、いちばん失語症に悩まされた時期だったように思う。僕は生れて初めて赤面対人恐怖症にもなった。心はバラバラになっていきそうだった。(略)
  それでも人間は慣れる動物だ。(略)喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないが、ともかく慣れてしまい、一年が過ぎた頃には、少しずつうまく話せるようになっていた≫作34『大復活』p28

  ?月 リハビリのため歩いているうちに、いままでと違った風景が見えてくる。

  ≪足の方のリハビリ、これはもう歩くしかない。(略)
  最初は当然、歩くのが遅かった。(略)そうやって老人と同じスピードで歩いているうちに、いままでと違った風景が見えてくるのに気がついた。普段見なくてもいい地面やら草、樹木、同じようなハンディを持った人々、ベンチで暇つぶしをしている老人、なにやら不満げな子供たち、ストーカーに違いないと思われる不審な男、いろいろ見えてきた。ほんの少し余裕が出てきたのかもしれない。(略)
  こうして僕は、ゆっくり歩くことの楽しみを、ほんのわずかずつ覚えていった≫作34『大復活』p58

  ?月 毎週、荒木のおばさんの家へお灸をすえてもらいに通う。

  ≪一年たって僕がなんとか杖で歩けるようになった頃、おばさんから「お灸をすえてやるよ」という電話があった。   僕はリハビリをかねて、毎週のようにおばさんの家に通った。そのうち、僕の言葉のほうもだんだん元にもどってきた≫作20『荒木……』p39

  ?月 病気のせい(?)で、食べ物の好みが変わる。

  ≪退院してからは、どうしたわけなのか、突然、タコが異常に好きになった。健康であった時もタコは好きだったが、食べたくて食べたくて頭の中がタコだらけなんてことはなかった。それほど好きになった。
  (略)おでんのベストスリーをあげるとすれば、大根、卵、チクワブ、だいたいこんなところだったのが、退院してからは、タコが断然一位で、それに大根、そして三位は何故かはんぺんに変わっていた≫作34『大復活』p85

  ?月 歯茎出血事件。退院後一番の恐怖体験である。

  ≪いちばん怖かったのは、”歯茎出血事件”である。倒れて一年ほどたったある朝、目が覚めると、枕がぐっしょりと血で濡れていた。
  僕はそれを見た瞬間、またあの地獄に落ちていくのかと思った。大出血か。いったい何の病気だ。動悸が激しくなり、めまいがした。(近くの歯医者にいったが原因が分からず、そのうちに出血は止まった。)(略)
  それから三年たち、再び突然に歯茎から出血し始めた。(主治医のところへ行ったら、飲んでる薬が原因といわれた。)(略)
  なんともあっけなく、出血騒動は終わった。薬を出す時に正確な説明があれば、パニックに陥らずにすんだのだ≫作34『大復活』p117

  ?月 日本文藝家協会会員となる。

  ≪文化各界名簿 ★印は日本文藝家協会会員(平成9年6月1日現在2,244名)
  永倉 万治(作家)★本名長倉恭一、郵351-01 和光市本町*-*-*(0484-*-*)昭和23年(1948)1月27日埼玉生、立教大経中退、「アニバーサリーソング」「黄金バット」≫『文芸年鑑 平成九年版』(1997・新潮社)

  ?月 同病仲間が車を運転することを知り、自分も障害者用の運転免許を取得し、練習に練習をかさねる。

  ≪一年ほど過ぎた頃、病院の脳溢血患者の仲間が免許を取って、いま車を運転してきたと自慢気にいった。(略)思いもよらないことに、私はにわかに希望が広がっていくような気持ちになった。
  早速、運転免許センターに行き、運転できるかどうか調べてもらった。(略)(障害者用に改造した)車なら、運転できるといわれた≫作22『晴れ……』p183

  ≪退院の翌年、シビックを買った。アクセルを左側に据え替えた車である。あの時は本当にうれしかった。(略)
  恐る恐るハンドルを握り、何度も失敗を繰り返しながら距離をのばしていった≫作39『…隣の…』p196

 【作品 年譜】

  1月     (ナース礼賛!)それでもまだナースになる女の子がいる。それだけで救いだね(『月刊ナーシング』)(→未収録)

  1月10日 成人の日を迎える人へ(『神奈川新聞』)(→未収録)

  2月     文句なんて、ありません。(『エスクァイア』)(→未収録)

  2月28日 片 脚(書き下ろし)(→『星座はめぐる』)

  2月28日 復 讐(書き下ろし)(→『星座はめぐる』)

  2月28日 僕が二十歳だった頃の二つの話(書き下ろし)(→『星座はめぐる』)

  2月28日 単行本『星座はめぐる』(TBSブリタニカ)

  3月05日 幕間のFOYERにて(『エル・ジャポン』)(→未収録)(未見)

  3月15日 文庫本『メモリーズ・オブ・ユー』(講談社文庫)

  4月(3) 酒と映画と男と女。(『エスクァイア』別冊)(→『晴れ…』)

  4月     (随筆)しゃべらない男(『中央公論』)(→『晴れ…』)

  5月     ぼくの脳溢血闘病記(月刊『現代』)(→未収録)

  5月     (私のぜいたく)土を眺めて(『小説現代』)(→『晴れ…』)

  6月     (雨のショートショート)傘(『銀座百点』)(→未収録)

  6月20日 わからないことばかり(書き下ろし)(→『初 恋』)

  7月     (ESSAY&COLUMN)「世間話」(『NEXT』)(→未収録)

  7月15日 文庫本『東京恋愛事情』(講談社文庫)

  7月31日 文庫本『昭和30年代通信』(ちくま文庫)

  8月     (心でふれあう関係)自分を発見した日(『PHP増刊号』)(→『晴れ…』)

  9月25日 単行本『陽差しの関係』(第2章〜第4章は書き下ろし)(講談社)

  9月28日 (男にわかって欲しい、女の本当の気持ち)いつもマニュアルどおりのデートばかり、まるで観光バスにのってるみたい。(『an・an』)(→『晴れ…』)

 11月     (CHIC PORNO)ハンマー投げ(『銀座3丁目から』)(→『誘惑の十六幕』)

 12月05日 (おとなの女はキスがうまい事典)余裕があって、激しいキスができる……。(『クリーク』)(→未収録)

  ?月     女房のいない週末・深夜帰宅のいいわけはむずかしい!(再録)(→『NHK通信添削講座 朗読』)

 【連載 作品】

 「essay」 『Tea Time』 (Illustration:Yuiko Yasuda)

   4月  宝 石 (→未収録)
   5月  離婚するの?(→『晴れ…』)
   6月  インテリア・ショップ(→未収録)
   7月  よかったら乗っていきませんか?(→未収録)
   8月  何かが、おかしいんだわ。(→未収録)
   9月  下 町 (→未収録)

 「東京サラリーマン・ラプソディ アナタの年頃」 月刊『現代』 (永倉万治(作家) 画・樋口太郎)

   6月 第17話 人生の秋へ決意をこめて 最後のロック・コンサート(→『……年頃』)
   7月 第18話 不惑こそ男心の揺れどころ 出世はしたし実力はなし(→『……年頃』)
   8月 第19話 飽食の時代に噛みしめる コロッケ一つの甘美な記憶(→『……年頃』)
   9月 第20話 海外出張は出たとこ勝負 英語でしゃべれて何になる(→『……年頃』)
  10月 第21話 ますます元気な中年女房に 恋したこともあったっけ (→『……年頃』)
  11月 第22話 ワープロに電子手帳と あせる悲しみ買った虚しさ(→『……年頃』)
  12月 第23話 竹馬の友は詐欺師稼業 人生なんてそんなもの(→『……年頃』)

 (連載名なしの連作) 『野性時代』 (永倉万治 イラストレーション・長友啓典)

   7月 友 達(→『ラスト…』)
   9月 ラスト・ワルツ(→『ラスト…』)
  11月 ブラッシウス通り(→『ラスト…』)

 「しごとの周辺」 『朝日新聞・夕刊』 (Manzi Nagakura 永倉万治、illustration・浅賀行雄)

   9月17日 でも、書けた(→未収録)
   9月18日 つかれる、けど(→『晴れ…』)
   9月19日 今、わかった。(→『晴れ…』)
   9月20日 そう、いけるんだ。(→未収録)
   9月25日 やっと、景色が。(→未収録)
   9月26日 見えて、きた。(→未収録)
   9月27日 揺れ、ながらも。(→未収録)

 「平成元年闘病記」 『月刊カドカワ』 (永倉万治 イラストレーション・浅賀行雄)

  10月 第一回 (→『大熱血…』「平成元年三月十日、四ッ谷駅ホームに倒れる」)
  11月 第二回 (→『大熱血…』「右半身マヒおよび失語症」)
  12月 第三回 (→『大熱血…』「パワーの先生、やって来る!」)

 「流れの外から」 『小説現代』 (永倉万治 え・百田まどか)

  11月 力うどん(→『荒木…』)
  12月 丘を越えて(→『荒木…』)

 【参考 作品】

  1月     (対談・落合惠子と七人の作家)昭和三十年代――永倉万治(『IN・POCKET』)

  1月     (Books)永倉万治『ポワール・ウィリアムスに関する20点と70点の思い出』(『東京人』)

  3月29日  (BOOKs 著者インタビュー)永倉万治『星座はめぐる』文/佐藤直樹(『週刊アサヒ芸能』)

  5月     今月登場(『小説現代』)

  5月10日  (著者インタビュー 最近、面白い本読みましたか)「星座はめぐる」永倉万治さん『クロワッサン』)

  5月26日  作家・永倉万治さん―かみしめる「奇跡の生還」入院中にワープロを取得(『産経新聞』?)(未見)

  6月07日  (ぴーぷる)夫唱婦随 永倉万治 文/無署名(インタビュー記事)(『週刊文春』)

 10月20日  (テレビ番組紹介)ドラマチック22「ニューメキシコから来た男・球団通訳助っ人物語」(『日本経済新聞』1990.10.20)

 11月     (グラビア・近刊近況)永倉万治 陽差しの関係(『小説現代』)

 11月     今月登場(『小説現代』)

 11月10日  (げんだいライブラリー 著者インタビュー)『陽差しの関係』永倉万治さん(『週刊現代』)

 12月     (巻頭対談)われら体育会系小説家 永倉万治・伊集院静(『IN・POCKET』)

 12月     今月登場(『小説現代』)

 12月20日  (語りおろし連載 行くカネ 来るカネ 267回)私の体を通り過ぎたおカネ(取材・構成 野村進)
         脳溢血で倒れ、地獄を見た売れっ子作家「あとはもう死ぬまで書いていくしかないんだ」 (『週刊文春』)


トップへ

戻 る ホーム 進 む
inserted by FC2 system