ジャルパック・クラブの機関誌『ウインド』の編集部で仕事をしていた永倉万治(この時代は本名の長倉恭一)のエッセイが二点掲載されている。
1-1号の「中央アジアの旅」(第373号で紹介)と3-3号の「オルブルーズ村」(第275号で紹介)である。(1-1号の表紙は第373号に掲載)
このなかで、1-1号の巻末に「この号に登場したひと」の欄がある。執筆者の略歴紹介文である。(3-3号には長倉の略歴はない)
登場人物には石井好子、開高健、田村隆一、水森亜土など著名人がある。
彼らの略歴は、編集部員が調べたり、本人に聞いて書いたと思われる。
しかし、フリーライターであり、編集部員である長倉恭一の略歴は、本人が書いたに違いない。
ということは、長倉恭一の略歴は、永倉の作品?と言えるであろうか。
そこで、彼の略歴紹介文の全文を掲載する。
長倉恭一 ながくら・きょういち フリーライター。一九四八年埼玉県生まれ。
週刊誌の記事を書いたり、新聞のインタビュー取材をしたりしているが、旅行好きがたたって、おおむね閑職。
二十才の時から東南アジア、中近東、中央アジアなど十三回くらい。ネス湖にも行った。これほど旅好きな永倉は、旅行の機関誌『ウインド』の編集員に間違いなく向いている
ネス湖行きはちょっとビックリである。
でも、私が作った「永倉万治 年譜」を見ると確かにあった。
1971年8月に、東京キッドブラザース主催の「キッド旅行団」のヨーロッパツアーの終盤に有子夫人と一緒に急遽新婚旅行としてネス湖に行っている。
《行き先は、スコットランドのインバネスと決まった。ヒッチハイクでネス湖の怪獣を見に行こうというわけだ。(略)
ネス湖観光(人っ子ひとりいない湖のほとりの城跡で、次のバスが来るまでぼんやりしていただけだが)も無事終わり》(『万治クン』所収)なるほど、略歴のほんの一言でも、彼が海外のあちこちに旅行していることがよく分かる。
この永倉自身が書いた小文も、私にとっては永倉作品に含まれる。『ウインド』の情報は本当に、ありがたい。
写真14:永倉作品掲載の『ウインド』3-3号の表紙写真15:ネッシーの写真(ネット「CNN.ネス湖の怪獣」より)
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